ばあちゃん、三人  (19日の追記、念のため)

 昨日、コピーしてきた同窓会通信の一部を封筒に入れ、ポストまで行った。
 帰りに、バスからおりた三人のばあちゃんと出合った。「老人クラブの講座ですか?」と訊くと「そうや」と言われた。「皆さんは、耳が聞こえるからいいよね」と私が言うと「ばあちゃんは、聞こえないの?」と言われた。「聞こえないよ、何も聞こえないよ」
 三人のうちの一人は、ばあちゃんの友達だ。「ばあちゃん、どうしてる?いっぺん、会いに行こうと思っていたけど、足が痛いので、行かれへんねん」と言われた。あとの二人は「おなかがすいたから、先に帰るよ」と言って、帰ってしまった。今までは、足が痛いと言うその人に合わせて歩いて来たのだろうが、私と話しだしたとたん、ほって行ってしまった。
 年とっての友達って、意外とあてにならないものだ。自分が疲れると、人のことなど眼中になくなる。当たり前だろう、が...
 ばあちゃんの友達のその人は「もう、あかんわ。何するのも、しんどいわ。はよぅ、死にたいわ」と言う。88歳の米寿まで生きて「はよぅ、死にたい」も、ないもんだ。こういうことを口にする人は嫌いだ。暗い!だから、息子の嫁に好かれない。
 うちのばあちゃんも「はよぅ、死にたい」と言っていた若い頃があった。「そんでも、無理に死んだら、孫に迷惑がかかる。お前等はどうなっても、かまへん。孫はたった今、嫁にやらんなん。それに迷惑がかかる」と私達を強迫したものだ。そのころは夫も、本気で心配して「説教したら、自殺するんやないか」と思っていた。
 また「殺せ〜」と言うころもあった。私は「親は子供より先に死ぬもんです。親を殺して刑務所に入るような、あほな子供はおりません」と言うと「そんなもん、わかるか!」
 次には「死んでやる!」といきまいたころがあった。「はぁ、どうぞ、どうぞ」と言ってほっておいた。ところが、5分もすると、忘れた!言ったことを忘れるから、自殺などできない。老人が自殺するのは「うつ病」らしい。認知症になると、自殺はできない。
 ちょっと前までは、たまに怒ると「はよ、死んだら、ええ、と思ぅとるんやろ?」と言った。「はいはい、思ぅてます。なんなら、手伝いましょか?」と言うと「お前等、ここにおられんようになるぞ。世間の人が、どない言うか、わかっとるのか?」と強迫するのだ。すごい頭の回転だと思わない?