「1月5日や」

 午後、ばあちゃんはごそごそしている。玄関でつっかけをはいている。出て行った。畑だろうか?行き先だけは見届けてから、あとで追いかけようと見に行くと、ばあちゃんは杖をついて、玄関の門柱の影に立っている。西からの強い風は防げる。
「ばあちゃん、どこ、行くの?」と訊くと「ななくさ、迎えに来てやろ?」と言う。「書いてあげたでしょ。見に行こう」と家に連れて入る。「どこにあります?」と訊くから「どこにあるか、わからんから、探すんやないの」と言いながら廊下を行く。「おばちゃん」と私に呼びかけてくる。今日は「おばちゃん」か。
 ばあちゃんの部屋のホームこたつには、さっきのメモがある。「1月3日」の文字の上に目覚まし時計がのせてある。「ばあちゃん、読んで」と言うと「1月3日、水曜日、お正月で休み」と読む。「ばあちゃん、休みやのに、何を待っていたの?」と訊くと「今日、5日やで」と言う。「なんで?」と訊くと、目覚まし時計を指さして「5日やで」と言う。「1時25分や」と言ってみると「1月5日や」と言う。時計の針でカレンダーを読む人!初めて見たわ。そうか、もう、時計も読めなくなったんや。
「1月3日、お正月で休み」と言うと「今日、3日でっか?」と訊く。「書いてあるやろ」と言うと「はっきり、わからへん」つまり、このメモが今日の日付のだと言う確信がもてないから、また訊きに来るわけだ。「いつから、行きますか?」と訊くが「大事なのは、今! 明日のことは明日訊けばよい。昨日のことは、もうすんだ」と理屈を教えるが、わからないのに言ってどうする?って? ついつい言ってしまうんだよな。「あとは、自分で覚えなさい。また訊きに来たら、口にばんそうこうを貼ってしゃべらなくしてもらうよ。うろうろ行くなら、紐でくくるよ。動かないように」と脅しておいて、私が部屋を出ようとすると「今日、3日でっか?」と離れて行く人の背中に向かって訊きたいばあちゃん。返事が聞こえないくせに訊きたいのは、返事が必ずほしいのではなく、何か言いたいのだろう。