「つかえる」

 昨日のパソコン作業のおかげで、ばあちゃんは野放しで「台所の探索」だった。あとで見ると見事に「物の位置が変わっていた」ばあちゃんが何かを手に持っているときに「触るな!」と言うと「見ただけ」と言う。「見るな!」と言うのだが、元の位置を覚えていないから、あちこちに移動している。
 ポケットには硬いものを入れている。出してみると、だしの素の小袋をちり紙に包んでいる。前はこんなものを食べたりはしなかった。見分けがつかなくなったのだ。「何でこんな物を食べたいの?」と訊くと「何でもよばれます」と言う。よばれたらあかん!「だしの素は食べたらあかん。おつゆをたくのよ!」わかってくれる?
 おやつ入れにお菓子を複数入れておくと、1つは口へ、他のものは紙に包んでポケットに「しまう」だから、たくさんは入れておけない。ばあちゃんが食べ終わる都度補充するほど、私はひま人ではない。つまり「おやつを食べる回数は減ってきた」かわりに冷蔵庫や戸棚を開けても、おなかの足しになるほどの物は無い。
 なのに、晩ご飯になると、ご飯は食べるが、食後の水がのどにつまる。コホン、コホンとむせて「しんどい」と言う。「あわてて水を飲むからよ」と言うと「つかえてます」と言う。なるほど!つまみ食いのもろもろが、口まで「つかえている」のだ。食べすぎは、脳が忘れても、胃は知っているのだ。