今日も明日も休み

 ばあちゃん朝寝坊の日らしい。起きるのも遅いし、ご飯を食べるとまた寝た。起きて昼ご飯を食べてまた寝た。それでも、夕方になると騒ぐはず。畑に行った。気分転換だ。 
 夕方、大工さんが遅い。台所に座って、お茶でも飲もうというころにやって来た。一応、部屋の広さを見て、廊下のクロスも見て、ついでに応接間も見る。台所に帰ると、ばあちゃんが「よう来てくれたな〜」と言う。「お茶でも出し」と私に言う。おいおい、昔のばあちゃんに戻っている。大工さんは若いときは棟梁の下で働きながらうちの家を建てるときに来てくれた。「ばあちゃんは、ようやってくれた。お茶や味噌汁やおやつを出してくれた。かんぴょうの炊いたのは忘れられん、て言うてるやつもおる」と言う。「それはかんぴょうの実をむいて、干すでしょ。残った、中の『ず』という『わた』みたいな部分を煮るのよ。煮干のだしで、醤油・味醂味だったね」と私が説明する。つるんと入って、おいしいし、冷たくなってもおいしい。かんぴょうを自分で植えてこそ味わえる田舎の料理だ。懐かしくても、今や手に入らない。冬瓜に近いがずっとずっと柔らかい。
 ばあちゃんは「お母ちゃん、この人らにお茶、入れて」と言う。「お菓子、あげて」と言う。食べながら話していたら、湯のみが空になるたび「お茶、入れて」と言う。もてなす気持ちだけ!強い。食べても飲んでも「入れてあげて」ばかりだ。すると「ばあちゃんが一番輝いているときに戻る」のは、一家の主婦として来た客をもてなしていたときだったのかも知れない。
 大工の棟梁は、ばあちゃんが生まれて1週間で亡くした男の子と同じ年で、今日来てくれた大工さんは棟梁の弟子だった。今は棟梁の息子が、この人を「兄弟子」として慕い、何かと相談をしたりたまに一緒に仕事をしている。