白紙に絵を描く

 わかった。朝のばあちゃんは、寝た分だけ過去を忘れている。起こされて、トイレに連れて行かれ、すんだら水をだしてもらって、手と顔を洗い、着替えてご飯を食べる。その次に、車が来たら「ほう〜」と言い、若い女性に手をとってもらう。「えらいすんません」と言って乗り込み「な〜んにもわからしません」と言って連れられて行く。
 言っておくけど、私はばあちゃんの手をとったりしない。廊下を歩くとき「急いで」と言いながら、後ろから押すことがあり、夫は「普通、そんなことしたら、前のめりにこけるねんで。ばあちゃんは抜群の運動神経で、こちらの手に体重を預けるからこけへんねんで。これはすごいことやで」と言う。運動神経の劣る私にはわからん世界だ。
 とにかくばあちゃんは車が来ない日は、入る情報がないので、テンションはあがらない。家の中を移動するか、畑に行くだけだ。私には扱いやすいばあちゃんである。
 車が来ると連れられて行って、そこで「何か」に直面する。一番情報が少なく、受け入れやすいのが、ステイだろう。「ななくさデイ」に行くと「健康観察」「お風呂」「ご飯」「休み」「リクレーション」ととにかくめまぐるしい。頭はパンクする。リクレーションも自分のわかる範囲だとなんとかできるようだ。
「3時や。帰ろぅ」をどう受け入れているのだろうか?家に着くときはもう、がらがら声で「わかるか!」か「怒られる」になっている。私を見ても「誰もおってやない」に始まり「4時や。外に出ましょか」「車が来る」になる。
 朝のばあちゃんは「白紙の頭に絵を描く」ようなものだ。