「大根完売」

 電話が来たのは7時40分だった。「今、きんせん寺湖」あと10分もあれば着く。大根は20本ぐらいずつ引いて、山からの水道水で洗い、古いすだれに広げて干していた。3回繰り返し、最後の20本を洗っていたら、着いた。
 「お土産」と持ってきたのが「引越し準備で片付けていたら出てきた空きびん」と「残っていたベターケア」(たたかうおばあちゃんが載ったので私が買い占めてまるちゃんに「売って資金にしい」と寄付したもの)...「ベターケア」はもう残部がないので嬉しいが、空き瓶?もう「梅ジャム」は作らないと思う。作ってもあげる人も売るあてもないからだ。さくらちゃんのバザーで売るのはしんどい。そんなに簡単に物が売れるものではない。
 「なんか言うことないの?」と言いたい。物を作る、収穫する、そんなの当たり前。当たり前でないイノシシでどんなに疲れるか、どこもかも盛大に掘り返して、おおきな穴を開けた地面を歩き、すぐそばに見ていても、気づかない、感じない、その感性の鈍さに疲れるんだよ。「介護は感性だ。共感だ」と言うなら感じなよ。注文していて届いた本を入れた封筒の表に、まるちゃんへの伝言を書いて「ここに帰りの車で話し合ったことを書いて、帰ったらファックスで送って」と言った意味をわかったか?その時に書いておかねば、もう時は流れ、まるちゃんが振り向くことはないのだ。一つ一つを残すことはできなくなる。
 「完売」の電話がきたのは昼をとっくに過ぎていた。「10時から売り始めて完売が12時半なの?時間、かかるんやなぁ」と言うと「それでもまだ、欲しいと言う人の列が続いていたんよ」と言う。「特に中高年のおばちゃん達は『葉っぱが新しい〜!』と喜ぶよ」と言う。「一体いくらで売ったんや?」まぁ、バザーは安いのがバザーだからいいけどな「大小2本くくりで100円」ほっま、大安売りだ...百姓ってむくわれないなぁ。