花見

 桜の花もほころび、心さわぐ季節になった。
 「万葉集」のころは「花」といえば「梅」であった。奈良時代遣唐使が薬用として持ち帰った梅がもてはやされた。
 平安時代遣唐使が廃止されてから、日本独自の文化を形成して行く中で、日本固有の桜の花が好まれるようになった。「新古今和歌集」や西行法師の「山家集」また「平家物語」のも「桜」の花が多くなった。足利義満金閣寺や室町の御所が桜で埋まるほどで「花の御所」と呼ばれた。
 花見は安土桃山時代、秀吉の吉野、醍醐の豪華絢爛な宴を頂点として、広く行なわれた。秀吉は観桜会をするために近隣の近江、山城、河内、大和から桜700本を移植させたそうだ。
 庶民が花見をするようになったのは江戸時代からだ。江戸の桜はほとんどが奈良県吉野山から移植したものだそうだ。家康、秀忠、家光など花好きの将軍が盛んに植えた。参勤交代で江戸は品種交流の場ともなり、数々の名所もでき、花見が一般化した。
 落語の「長屋の花見」で庶民の様子がうかがわれる。
 しかし、なぜ花見をするのか、をネットで調べてみると、これはもっと古い時代の神様にいきつくそうだ。慶応義塾大学名誉教授西岡秀雄さんが書かれた「酒と桜の民族」という本に書かれているそうだ。皆様も機会があったら調べてみてください。
 「サ神」という「山の神」さまをおまつりする神事なのだ。「サ神」さまを山からお迎えし、サクラ「神様の依る座・クラ」の木の下で、サケ「酒」やサカナ「サケ菜・肴・魚」をササゲ「捧げ」て、オサガリをいただく神事でした。
 そうして農耕の無事と収穫をお祈りしたのだ。花見もなかなか奥が深い。