昨年は苗作りに失敗して植えていなかったのだが、畝の草刈りに行くと、小さなこぼれ苗が散らばっていた。拾って植えてみた。野生苺ができるかしら?
 晴天続きで、土がサラサラなので、むきになって草を引いた。「ばあちゃんがいなくなって、草ボウボウや」と言われていたが、綺麗になった。隣の駐車場のアスファルトの隙間からつくしが侵入して来て、畝のあちこちにつくしが出ているが、それを取りに来る人もいるので、つくしはおいてある。
 新しい畝には花の株を植えた。そして刈った草でマルチしようとしている。土が雨で流れるのも防げるし、乾燥も防げる。草も生えにくくなればもうけもの。しばらく触らずにすむだろう。
 頑張りすぎて、夜までエネルギーが残らないので、ネットはしばらくお休みだった。

[福祉]「被災地グループホームまるごと受け入れ作戦・その4」
市民福祉情報オフィス・ハスカップから

震災から4週間。
 わたしの周囲の風景は特段変わってはいないが、世界観(というほど大袈裟なモノではないが)はたしかに変わった。
 これまで、アジアや中南米で、数万人数十万人の死者が出る大災害で蟻のように人々が死んでいく様を見ても、どこかひとごとだった。『先進国』日本で起きるとは考えることができなかった。
 ところが、である。
 自然の猛威の前に人間の力なんて無力だと骨身に染みた上に、千年に一度の災害もヒューマンエラーも起きないことを前提に作られた、傲慢の象徴のごとき原発事故は終息が見えず、放射能を海にまで垂れ流す。
 今、ここで謙虚にならなかったらおしまいだ。

さて、被災地からの受入れが少しだけ動き始めた。
 一昨日、ボランティアのAさんから「ご近所に被災地から認知症のお母さんを引き取った家族がいて、混乱が激しく家族も疲れ果てている。そちらで受け入れ可能か」という電話をいただいた。
 聞けば、福島第一原発事故自主避難勧告が出た自治体から来たという。
 「何かできることがあれば」と話していたら翌日になって、地元自治体の介護保険課経由で緊急避難として受け入れ要請があり、今日はご本人と引き受けた娘さん夫婦が相談にみえた。
 入居していた被災地のグループホームは、この数週間、責任者がひとりで入居者を連れて福島県内外を転々とし、一時は所在不明。娘さん夫婦はようやく探し当て、首都圏の施設に迎えに行かれたという。
 もちろん、来週から緊急入居していただくことになった。

グループホームまるごと受け入れ作戦」は、
 かねて親しくしている隣接自治体の社会福祉法人が閉鎖中のワンフロア分の提供を申し出てくれた。
 これでまた、受け入れのキャパシティが大きくなった。
 呼びかければ、まだまだ提供者は出てくるだろう。
 けれども、肝心の被災地からはまだ返事はない。
 今はじっと待とう、と話し合っていた。
 そんなところへ「グループホームまるごと受け入れ作戦」のブログを見たマスメディアの記者から、どうして動かないか、それ自体を映像にして伝えたいという申し出があった。
 福島第一原発からの自主避難地域ぎりぎりの被災地に留まるグループホーム、落ち着くまでしばらく外に出る方がよいと考える福島県の事業者団体責任者、そして受け入れを準備しているわたしたち。
その三者のズレは、ある意味でこの大災害の今の縮図なのかも知れない。
 阪神淡路大震災のときは、多くのボランティアがめざましい働きをした。
けれども、今回は何か役に立ちたいと想いはあっても、かたちにできない。
 そんなもどかしさが募るばかりだ。
 被災地側は取材をOKしてくださった。
 何をどうしたらこのズレが小さくなるのか、取材にわたしも同行し、現地で確かめてこようと思っている。
 なぜ「まるごと」引き受けたいと思ったか、そのエピソードは前回書いた。

もうひとつ大きな理由がある。
 認知症グループホームには、有限会社やNPOなど小さい法人の運営が多い。
 入居者も5〜6人から多くて18人まで。
 職員の数も多くはない。
 いったん離ればなれになったら、再建は困難だ。
 それ以上に、ようやく培った人間関係や認知症ケアのスキルが消えてしまう。
 認知症の人ときちんと向き合い、ケアできるようになるには時間がかかるのだ。
 ここで解散してしまったら、そのすべてが消えてしまう。
 それは何としても防ぎたい。
 単に被災地の問題ではなく、認知症グループホームの危機だ。
 小さいことはよいことだ、と認知症ケアの切り札グループホーム介護保険サービスになって11年。
 この危機を乗り越えられなかったら、厚生労働省と一部の識者が推奨する地域密着型サービスによる「地域包括ケア」の未来なんてない。

まるごと引き受けて、復興が進んだら戻ってもらう。
 そこまでの道筋をつけたい。
 もちろん、ひとつのNPOにできる範囲はしれているから、その後は国にもちゃんと考えていただきたい。
 その働きかけを、困難の真っ直中にある被災地の人々にさせるわけにはいかない。
 ひとごとではないのだ。(おりーぶ・おいる)2011/04/11