金魚

 大和郡山でおりた。金魚を見に行こうと思ったのだ。
 駅前の案内板を見る。郡山城跡が有名だ。歩いても行けそうだが、金魚とは反対方向になる。
 金魚は西南に行けばよい。「るるぶ奈良」の小さい地図を見ながら歩く。なかなか遠い。金魚養殖場・即売の看板がある。
「新木山古墳」に出た。南に行くと萬福寺。そこからは水たまりが見えてくる。適当に田んぼ道を行く。田舎!当たり前か。 
 今、金魚池にいる。仕切りは田んぼと変わらない。うしがえるが鳴いている。うちのあたりでは昔はうるさいぐらい鳴いていたが、もういなくなった。静か、静か・・・。
 金魚の池は緑色だ。深いか、浅いか、わからない。
 いた!金魚!小さくて白い。小さいのばかりの池だろう。
 大小混じった池もあり、大きいのが小さいのを食べないのだろうか?と思う。
 うちの畑の小池では確かに、大きいのも中ぐらいのも小さいのもいたから、1年に何度か産卵して孵化したのだろう。
 「るるぶ」に「郡山金魚資料館」がのっている。向うに看板が見える。行って見ると「ご自由にお入りください」という感じ。でも大きくて立派なのは金魚養殖の会社の建物だ。「(有)やまと錦魚園」という。何人かおられてにぎやかに話しておられる。
 資料館は手前の養殖池の中の古びた建物だ。勝手に入っても気にとめる人もない。パンフレットを勝手に取って、見てまわる。
 「金魚のふる里・郡山金魚資料館」
 設立者の嶋田正治さんは昭和30年ごろより、金魚の見学に訪れる小中学校の遠足や社会教育団体に自営の養殖場を無料開放し、説明役を務められたそうだ。30年間で延べ105000人にものぼるという。当時、金魚のふる里には金魚に関する施設もなく、嶋田氏はNHKの「明るい農村」に出演し、語った構想のまま、100坪の養殖池を埋め立て、自費・手作りで創設されたそうだ。昭和57年とのっている。
 大きな立派な金魚たちが水槽でのんびり泳いでいる。水槽の下には昔の木の農具が所狭しと置かれている。金魚用の桶やらもあるが、うちにもあるような田植えの道具や稲を脱穀するのもある。社長さんが集められたのだろうか?農家も改築すれば、古い、要らない道具は捨てるものね。学校なども保存してくれない。やがては失われていく。
 資料館には金魚のおもちゃや、昔の錦絵・掛け軸などに描かれた金魚が飾られている。古びていて、うら寂しい。勝手に見せてもらっていて言うせりふではないなぁ。ごめんなさい。たまたま歩いて来た従業員のお兄さんに「こんにちは」と言うと元気に挨拶を返してくださった。
 資料館を出て、また歩く。蚊がいる。池だから当たり前か?暑いので、サングラスに帽子に日傘、それもアルミコーティングの涼しいやつ。
 近鉄橿原線の線路に出た。東に渡り、町の家と家の間の細い道を歩く。駅前に戻ってきた。