栗拾い

 柴栗を拾うのはともかく、むくのに疲れたので「紫陽花の会子育てグループ」にメールを送った。「栗拾いにおいで」
 「むいたのをちょうだい」とお母さんがやってきた。「柴栗なんて拾ったこと、無い」と言う。案内したら、少し拾って「ゆでて食べる」と言う。むいて冷凍したのはすぐに栗ご飯にできるから、喜んで持って帰った。
 次にやってきたのは、「小学校のウッディパークでキッズが、まるまる太った栗を拾ってきて『栗拾いに行きたい!』と言います」という親子。小学校にウッディパークがあったの?築山かぁ?フムフム。
 うちの家の前の栗は野生だから、栽培栗よりは小さいが、柴栗としては大粒だ。軍手をして、「あった!」「あった!」と拾っている。何事も経験!昼ごろに「今、ゆであがったので、これから、半分に切って食べます!」とメールが来た。
 次の日は、女の子とお母さん。お母さんが「あれ〜!これが栗?」と言って、前に落ちた、枯れた“いが”をひっくり返している。「私より、娘の方が上手です」と言う。「そうよ、新しいのは、光っているのよねぇ?」と私が言うと、娘がこっくりする。枯れた“いが”なんぞ、ひっくり返さなくても、今日落ちた栗のつぶは、水分が多く、ピカッと輝いているのだ。存在を主張している。だから、幼い子供の感受性に響く。
 むいて冷凍した栗をさしあげた人から、はがきがきた。「初物でした。ごちそうさま」と書いてある。
 初物?うちはおじいちゃんが植えた早生栗があるからなぁ。柴栗も早生らしい。
 お店に栗が出回っても、買えばけっこう高いし、買ってまでむいて栗ご飯にしない人が多いのだなぁ。
 私のように「命がもったいない」と言って、朝昼晩に拾う者はいないのかも?
 もう終わりだ、という今頃になって、道路に落ちた“いが”に気づいて、頭上を見上げている人がいる。遅いよ。もっと早く、気づかなきゃ。