「グンゼ記念館」

 今日は婦人会の日帰り研修旅行だ。
 実は、昨年6月に計画していたが、突然の台風で中止になった。
 延期して今日に決まったが、寒い冬だったので、吹雪にならないかと、係りの人は気をもんだことだろう。
 このごろの暖かさで、京都北部は雪がない。拍子抜けするほど良いお天気。
 バスは出発地を別にして、途中のバス停でも拾ってくれたので、私は最後になり、もう前の幹事席しか空いていなかった。「県民バス」という制度があり、バス代を援助してもらえるそうで、その代りか、バスガイドさんも添乗員もいない。婦人会交流部と環境福祉部の皆さんが、お世話係りだ。ガイドさんよろしく、案内もしてくださる。降りたら、「婦人会」の旗を持って先導し、後ろからもちゃんとフォロー係りがいる。奮闘ぶりを目の当たりにして貴重な体験だった。
 「記念館」は元の本社事務所だったのを、昭和25年に記念館にした。 
グンゼ」はカタカナの名前だが、もとは「郡是」という社名であった。と、二つの建物の説明パンフレットにある。苑長の野中さんが丁寧に説明してくださって、メモを取り、見てまわったが、素晴らしかった。古い機械も道具も大切に保管されていた。
 創業者は波多野鶴吉さんで、この地の大きな庄屋の生まれで、17歳で京都に出、6年後に帰郷。1896年(明治29年)「郡是製糸株式会社」を設立する。「郡」は京都市何鹿(いかるが)郡(今の綾部市)、「是」は方針とか進むべき道とかの意味である。すなわち、地方産業の振興を第一の目的とする創業の主旨を明確に示したもの。「創業の精神は、人減尊重と優良品の生産を基礎として、会社をめぐるすべての関係者との共存共栄をはかる」
 それより前、この地の絹は品評会で「粗の魁(さきがけ)」と言われ、ワースト(最下位)であった。これではいかん、波多野さんは「良いまゆを作ってくれたら高く買う」とうたって製糸会社を興した。前田正名(まさな)さんが「産業立国論」を説いて回った時期であった。
 「群是」は一株出資でスタートした。大株主はお断り。かけひきでまゆを買うのをやめ、まゆ相場ではなく、良い物を作る。
 明治30年には夜学を作った。工女は「働くお嬢さん」、我が娘と同じ。郡是は「表から見たら工場、裏から見たら学校」と言われた。教育は「誠意」と「愛情」と「謙虚」の心である。それをわかりやすく。3つのしつけ「あいさつ」「はきものを揃える」「掃除」とした。勉学と心の教育で「花嫁修業」のごとく「郡是で働くお嬢さんならお嫁さんにほしい」と言われたそうだ。日本の国産は「富国強兵」で絹織物と言えば「女工哀史」のような涙の物語として記憶していたが、郡是のような会社があったのかと、初めて知った。
 展示はいろいろあったが、面白かったのは「創業者室」の勲章「叙正六位」、もらったのが波多野鶴吉さんで、あげた方の宮内大臣が波多野敬直さんであった。大正4年11月10日の日付であった。
 社章、グンゼ100年史、グンゼCSR報告書、健康食品ベニエット、工場全体のジオラマグンゼの病院は今は綾部市立病院だと言われた。波多野さんの銅像、昔の絹製品(ワイシャツ、靴下、ネクタイ、メリヤス肌着)。「栄誉室」といって、大正天皇の皇后・貞明皇后行啓時の御座所をそのまま保存した部屋。