ゆっくりと時が流れる
彫刻家さんのアトリエは檜の香りがした。
おうちは高原別荘地にある。バスの通る国道から2kmも離れている。
初め、この土地は別荘地として開かれ、おしゃれな家が建てられて、夏の避暑地だった。
ところが、徐々に定住する人が増えて、バス停もできた。バスをおりて歩いている人を見たら「乗って行きませんか?」と声をかけあうような結束の強い自治会だった。
今も緑が残る。
おうちはおしゃれだった。
木造で、高い天井にプロペラの扇風機がゆっくり回っていた。
奥に薪ストーブがあった。
友達は「まず、過去の作品を見てね」と言って、彫塑や彫刻を見せてくれた。面白かった。
次にお菓子をいただき、お茶をたてた。
それからお向かいの弟さんの家に行って、最近の入選作をつめこんだお部屋を見た。
京都市美術館で見た一連の「Look at the sky」であった。「動物も作り始めたの」と言われて、注目したのは、おさるさんのようだった。みんな「ほのぼのする」「かわいい」と言って、気に入ったようだった。
仏間に行くと、昔の箪笥があった。しっかりしたつくりで好ましかった。
「これは、母が作ったの」という作品群があった。「『あなた、いいことしてるわね。私もやるわ』と言って作ったのよ」と言う。ちいさな仏様や*[自然]匂い水仙
咲いた。今日は風が冷たい。、ご主人の像(頭部だけ)だった。みなが言う。「『私もやるわ』と言って、このような物がつくれるなんて!驚き!」
昔の人は何でも自分で作らねば物が無い時代だ。木工品、竹細工、わら細工、編物、縫い物・・・これぐらいならわかる。彫刻がすらすらとできてしまうのが驚きだ。絵心も空間把握力も器用さも必要だから。
さて、お庭は南向きで水仙もさくらんぼも咲いている。テーブルと椅子もある。そこでお弁当をいただいた。「紫陽花の会」に最近入った人も、昔の仲間も集まって、話もはずむし、楽しいひと時。
だれかが「ゆったりと時が流れる。別天地」と言う。
彫刻家さんのご主人がパンを焼いていて下さったのに、おなかいっぱいになったのと時間も無くて食べそこなった。残念!「ご主人、パンを焼かれるのですか?」と聞くと「2か月ごとに炊事当番が回ってくるからね」と言われた。「手回し蓄音機で昔のレコードも聞けるけど、また今度ね」だった。
そんなこと言うと、味をしめてまた来るかも知れないよ。うふふ。