「北の零年」

 映画もたまには行かなくちゃ。吉永小百合さんなら、見なくちゃ。北海道開拓なら、ね。
 ばあちゃんがデイサービスに行ってから、開始時刻の関係で、神戸へ行った。なかなか神戸には行けない。JR1本で大阪に行けてしまうという理由だけなのに。
 あ、そうそう。東京の友達が「震災から10年たちました。見事に復旧しましたね」とメールがきたので「東京では、そのように報道されているのですか」と書いて、1月中の新聞から震災関連の記事を切り抜いて送った。確かに表通りは復興されてきたし、高いビルやマンションは増えたが、空き地はまだまだ残されているし、生活と産業が復興したとは言いがたい。また、人々の心に残された傷跡は、あまりにも大きい。そこでふんばる、力をあわせる、人々の心は尊い。送ると、また返事がきて、わかってくれたようだ。
 被災地から一歩でも離れると、なかなか大変さは伝わらない。NHKの朝の連続テレビ小説でもやっているので、見てほしいと思う。震災直後、JRの動かない被災地を離れて、普通に動く隣りの市では?何事も無かったような日常の暮らしがある。そのギャップの大きさに、我々は愕然として、新たな涙が流れ、取り残された気持ちになるのだ。人の心に寄り添う、などということは、簡単にできることではない。

 さて、「北の零年」映画館はすいていた。もっといっぱい、見に来てよ。莫大なお金と大変な苦労をかけて完成したということは、見ているとわかる。
 淡路から北海道へ移住を命じられた、稲田の人々が、半月も船に揺られ、行く手に陸地を見つけ「陸が見えたぞー」と叫ぶ。皆が甲板に上がり、期待と不安の入り混じった表情でじっと見つめる。見ているだけで、涙が出る。大変だねえ。機械も無い、道具も昔のだけ、これで、木を切り、家を建て、土を掘り起こし、耕して、米を植え、野菜を植えるのだもの。
 先住のアイヌの人たちの助けがなかったら、とても生きてはいなかっただろう。
 吉永小百合さんが、鍬を持ってきて、黙って耕しにかかったときは、偉いなあと思った。指導者の立場の人が率先して動けば、人はついてくるものだ。もっとも、夫が見ていたら「あの鍬の使い方は何や?農業の技術指導がなっとらん」というところだ。テレビを見ても「その格好は何や?」とつっこむんだから。夫に「指導して」と頼みに来ればよかったのにね。
 ま、映画はよかった。たまには、見るもんです。テレビより大画面がいいです。