若すぎる死

 これも「友達」に入れておこう。今年になって、私と同年代か少し上の女性の方が、あいついで亡くなった。
 今日もお葬式に行ってきた。家がちょっと離れているので、ほとんど会うことが無く、病気だとは知らなかった。ご主人が挨拶の中で「妻は『私がいなくなっても、悲しまないでね。悲しまれると、この世に未練が残り、成仏できませんから』と言っていました」とおっしゃった。
 私はまだまだ死にたくないし、こんなこと、つまり「成仏」とか考えたことがなかった。
 私の友達や同級生のうちの何人かを亡くしていて、「死んだ人は仏様になって、私達を守っていてくれる」と考える宗教なので、自分が「成仏」するときのことなど、考えたことがない。阿弥陀仏様が迎えに来てくれるんじゃないの?すべておまかせ、と思うけれどなぁ。また訊いてみよう。私のまわりには、お寺の後継ぎや出身者が何人かいて、いつでも教えてもらえる。
 「最後のお別れ」のときには、棺に花を入れに行く人がかなりいたが、私は行かなかった。同年代の女性のしかも「親友」ではないので、顔を見るのはつらい。「パジャマ姿で人には会いたくないので、見舞いに来ないで」主義なので、相手も同じかな、と思う。
 今、目の前にいる人と、いつ別れねばならないか、はわからないのだ。生きているときには、おつきあいに、せいいっぱいに心をこめる。亡くなったら、残された家族を支えてあげる。それがいいと思う。