めげる

 申し出が私の思いと違っていたとき、めげるのはなんでやろ?
 たとえば「いつでも電話してね。手伝いに来るから」と言う人に「『たたかうおばあちゃん』できたから、取りに来て」とファックスすると、すぐに電話がきたが「また連絡する」と言って、そのまま...せめて「何日よりあとなら行ける」とか「だめな日を言って」とか言ってくれれば、あ、読みたいのかな、という熱意もわかるが、これではねぇ...
 また「芋掘りに行っていい?」という人が「お昼はどうするの・」と訊くと「食べに行くからいい」と言う。何も私の助けにならない。そちらが利用者で、私が提供者なの?そんなの、あり?宅老所の「焼き芋」の時は、おにぎりも豚汁も、うちのばあちゃんの分も作ってきてくれて、ばあちゃんの話し相手もしてくれるし、ご飯も一緒だ。私も、これなら「はたらく」や、「はたの人」を「楽」にしてくれる、と思える。
 なんか、ねぇ?と思うことがたまにあるのは、なんで? 年とって、疲れてきたのかな?