昨日のフォーラム、午前は総合セッション「介護保険で何が変わったか」

 パネラーは下村恵美子さん(福岡県宅老所『よりあい』代表)、天田城介さん(熊本学園大学助教授)、中村大蔵さん(兵庫県宅老所・グループホーム・グループハウス連絡会世話人代表、特別養護老人ホーム園田苑施設長)、コーディネーターは長谷憲明さん(関西国際大学教授)
 初めにコーディネーターの長谷さんが「介護保険ですが、そもそも保険とは『起こるかも知れない事故』に対してかけるものです。『老い』が『事故』扱いでよいのでしょうか?『受けて当然の権利』じゃないですか。誰もが地域で24時間、365日暮らしていける制度を作ることが必要なんです」と言われた。
 3人のパネラーの発表だが、これがもう、すさまじかった。
 下村恵美子さんが言われる。「朝一番の『のぞみ』で来ました。今、やり場のない不安で、冗談じゃない、やってられない。私も50代に入り、自分の60才以後の人生を想像すると、このままだまっていたらのたれ死にするか...がけっぷちに立たされている...それが顕わになっています」と初めからすごい。
「変わった」とは介護保険のない時代は「措置」と呼ばれていたのだ。その時代はまだ「現場裁量権」というのがあり「この人は緊急」と思われたら保護ができた。介護保険では「違法行為」になり、処罰の対象になる。
「なんちゅうか、かんちゅうか...年寄りは弱っちゃいけないのか?泣き言いえないのか?」と続く。だって「介護予防」「筋トレ」でしょう?筋トレの好きなじいちゃん・ばあちゃんが何割いるだろうか?
「年寄りの生活はどうなっていくか?事実から見ていく。認知症だと特養に入れない。ショートステイも予約がいっぱいで取れない。ふんだりけったりだ。認知症対応型のデイが無い。それで、在宅が無理となると、受け皿は精神科医へ、となる。薬でおとなしくさせる」
 次は天田城介さん。「今は『又裂き状況だ』」とこれまた過激だ。
 介護保険は無意味ではない。問題点は
1.需要に供給が追いつかない。
2.「家族の意向によって当事者の利用が決まる」というあり方が作られた。
3.ケアマネは「家族の意向」を汲み取りつ、当事者の「家におりたい」という気持ちとの板ばさみ。つま先立ちに前のめりに歩いている。ケアマネが引き裂かれざるをえない。
4.当の現場は「見えざるコスト」に泣く。「買い物、墓参り、温泉」そういうもの、「衣食住足りても、人と人のつながりで必要なもの」これに対して使うエネルギーとコストに関しては支払われない。これは介護保険以前には「どんぶり勘定」で支払われていた。
 地域包括支援事業について。運営が市町なので、将来、財源の多少による格差が広がる。
 「介護予防」については「介護給付」がきちんとあった上に「プラスアルファ」で付加するものなら良い。ヘルパーから見ると「今は1時間で料理・掃除・介助もできているが、今後『本人と一緒に援助しながら食事を作る』となると、それで1時間は終わってしまう。この人はとうてい生活できなくなる。」ヘルパーも『又裂き状況」である。
 石川グループホーム虐待致死事件について。実刑判決を受け、「守る会」ができている。「制度の問題ではない」「彼の性格だ」と見られている。が、「週3回夜勤、ヘルパー資格無し」でやれるわけがない。そのことが社会的に知られていない。「ひょっとすると私もしたかも知れない」と誰もが思う状況だ。「これだけひどいんだ!」と現場が言わないと!!声をあげないと!!
 また、低賃金で外国から介護労働者を入れる、介護ロボット、介助犬、介助猿の導入が「善意」でなされろこともある。働く者の5年先、10年先が見えないと現場は腐っていく。こんなにひどい。「一緒にはらをたてましょう!!!」
 最後は中村大蔵さん。園田苑には韓国から視察にやって来るので言うのだ。「介護保険を急いでやる必要は無い。『介護に対するナショナルコンセンサスを作ってから』と『財源の確保』が必要だ」
 自分の体験的にいささか乱暴に言うと「介護保険が介護をつぶしている」以前はもっとおおらかにおおざっぱにやれていた。今はギスギスしている。
*事務量が増え、職員が忙殺される。
*訴訟と介護労災が増えた。これが医療事故の延長で審理されるとこわい。誰が何をしてどこにミスがあったかと問うわけで、日常生活におけるリスクを見ていない。どこにいても事故は起こる。
 長谷さんの補足説明がある。「介護保険以前の措置費の時代は、人件費は大卒4〜5年目の国家公務員基準であった。今は、パート化が進み、非常勤で平均、月に10万いってない職場って何なの?」