「入れ歯無し」に慣れた

 ばあちゃんはステイから帰る。「問題無し」だったそうだ。「入れ歯が無いので、気をつけてくれるようにスタッフに言っておいたが、問題ありませんでした」と言われた。「認知症になると、入れ歯は作れません。『痛い』ということを言えませんから、入れ歯が合わなくても言えません。そうすると、炎症を起こしていてもわからないので、かえって障害が出る」からだそうだ。
 弟にメールで言うと「では、もう一度、探してごらん。ティッシュにくるんで、どこかにしまいこんでいるかも知れないよ」と言う。そうかも知れない。でも、もう、私が「探す」という熱意をなくしてしまっている。どうせ、作ってもまたなくす。もう無しなら無しでいい。
 ばあちゃんは慣れたのだ。もう、入れ歯をなくしたことを忘れているかも知れない。「入れ歯」という「物」自体、忘れたかも知れない。晩ご飯のときに「ばあちゃん、口、開けてごらん」と言うと「は」いや「へ」という感じで開けた。ばあちゃんの左手の指をとって、歯茎に触らせて「ばあちゃん、歯が無いよ。どうしたの?」と訊いてみると「もにゃもにゃ」また「どうしたの?」と訊くと「知りません」私が自分の歯を見せて「ほら、歯があるでしょ。ばあちゃん、歯が無い。わかる?」と訊いても、もにょもにょ。
「ばあちゃん、朝昼晩、ご飯を忘れる。入れ歯が無いので、ものがかめない。これでは死んでもしようがないね」とメモで脅してみる。「そんなことしたら、困ります」と言う。「88歳。年に不足は無い」と書き足す。ばあちゃんは誰かが亡くなるといつも「年に不足はない。良い仏さんや」と言っていたではないか。ばあちゃんは「皆が困ります」と言う。私は「誰も困りません」と言うと「お父ちゃんが困ります」と言う。はは〜ん。
 昔々、ばあちゃんは「わしは、いつ死んでもええが、勝手に死ぬと、残るもんに迷惑がかかる。たった今、嫁に出さんならん孫に、あとあと『ばあちゃんが自殺した』言うて、問い合わせが来る」と私たちを脅したものだった。?でも、今『自殺』なんて言葉が、ばあちゃんの辞書にあるかな?無いよね。
 その上、私も慣れた。入れ歯が無いと、ご飯のあと、はずして洗うという手間がはぶける。これは楽だ。「ばあちゃん、片付けて」で食器を流しに運ぶだけで終わりだ。歯があると「入れ歯をはずす。洗う」となる。今はばあちゃんが自分ではずして洗うけれど、できなくなって私がやってあげるようになると嫌だと思う。ばあちゃんのおしっこやうんちの始末は平気だけれど、入れ歯は触りたくない。歯医者にはなれないわ。弟には申し訳ないが...