もう見られない

 昨日の夕方、畑から帰る時、トンネルの中で近所の人が追いついて声をかけてきた。うちへ行くつもりだったと言って、荷物を手渡された。その人と別れてトンネルを出た時、ばあちゃんはかなり前を歩いていた。
 ばあちゃんが右を見た時、車が1台やって来た。ばあちゃんはとことこ渡りだす。? 車が見えているの?見えていないの?首は一応、傾けているのだが、視野に入っているのか?見えていても、車が来るとどうなるか?当たったらどうなるか?がわからないか?
 とにかく、わざわざ車の前を横断するに等しいことをする。止めようにも、耳が聞こえにくいので、あかん。下手に声をかけると、聞こうとして近寄ってくるのでよけいに危険だ。運転手は徐行し、止まり、ばあちゃんをよけ、左に大きく曲がり走り去った。
 もう〜、あかん。こんなもの、家では見られない。初めて真剣にそう思った。以前にいとこが、ばあちゃんが怒りまくるのを見て「こんなもん、家でみられへん。どっか、入れてしまい」と言ったときは思わなかった。怒りまくるのは、それよりすごい剣幕で怒り返せば、しゅんとなることがわかっているから。でも、車の直前横断はあかん。
 前にも直前横断をしていて「危ないやろ!車に当たって、もう、死んで」と言うと「そんなわけにいきません。死んだら困ります」と言う。「誰も困りません」と言うと「皆が困ります」...笑い話ですんだが、今日はもう...本気で「もう見られない」と思う。「新しくできた老健なら入れるかも...」と言われる老健なら?あかん、3ヶ月たって家に帰ってきたとき、ばあちゃんはもう家では暮らせない状態になっているだろうし、私も「ばあちゃんのいない暮らし」に慣れてしまって、もうみられない。