特別支援学級の出会いだった

 この方だったのかぁ...
ずいぶん前に、この方に電話をした。「失礼ですが、どこで知り合いましたか?」忘れていたのよ!いつも年賀状を頂くこの方は、どこで知り合った?「先生のクラスにお邪魔しました」「あ〜、あのときのお兄さん!」ごめんなさい。たった一度の出会いでした。
 勤め先とは特別支援学級で「お兄さんが来た!」と生徒たちがおおはしゃぎ、皆で記念撮影した。このとき「写真」は貴重な教材で、教室・畑の野菜と菊作り・社会見学と称する校区探検・母校訪問・行事のたびごとに写して、教室で配り、自分のアルバムにはってコメントをつけていた。卒業してからも大事な思い出として、取り出して見てくれていることを知って嬉しいと思う。
「教育実践」って何だったのでしょう?当時の私は英語の時間に「英語絵本」を作っていました。画用紙に英語と日本語を書いておいて、生徒が絵を描き、英語の文字に色を塗る。最初が「わたし、ぼく、うち、おれ、みんな 英語では I」「あなた、きみ、きさま、おまえ、英語では you 」「father おとうさん」「mother おかあさん」「my school 学校」「my room ぼくの部屋・わたしの部屋」こんなものだったと思う。
 言葉によるコミュニケーションの苦手な子がいた。「I」は丸い顔に丸い目、三角の鼻だった。「you」は鼻が変わった。書くうちに隣の子の絵を見て、見習ったり、お母さんの顔をまじまじと見つめたり、鏡を見るようになったのだと思う。とてもリアルに描けるようになったのだ。感動した。「my room」になると「窓枠もある。机も椅子もベッドもあるが、その下に畳の目が透けて見える」絵になっていて、びっくりぎょうてん!この子はこんなものまで見えるのか!不思議!不思議!(当時の認識はこれまでで、今なら『見えすぎて辛いこともあるかも知れない』と思う。しゃべれなくても、なんでもこころでわかってしまうのではないか?)この子は今も元気で、几帳面そのものの字で年賀状をくれる。
B君は日記に「今日は、学校を英語でスクールとよむことをならいました」と書いてきた。そうなのだ。「日本語の世界」から「外国語で考える世界」というカルチャーショックを体験してもらいたかったのだ。
C君は「自閉的」と言われ、言葉をおうむ返しに言うことがある。でも記憶力が優れている。カレンダーの曜日を暗記してしまう。高校野球のスコアも暗記する。担任の先生が訓練されて「カレンダー過去未来3年分覚えた」段階で全校朝礼の壇上に上らせた。「C君、○年×月△日は何曜日ですか?」「□曜日」答えると先生はカレンダーで示し、見ている生徒は「おぅ!」とどよめく。八百長ではないよ、見ている生徒に月日を言ってもらっても答えられる。「皆さん、C君にはいろいろ苦手なことがあっても、また得意なこともあるんです」
 未熟ゆえに私は数々の過ちをおかした。担任をする資格などなかったと思う。今も忘れず、心して生きてゆこうと思う。このときの「たった一度、会った」方がこうして書いてくださったことがとても嬉しい。

 でも「誰だろう?」と思いながら、1年以上をともに過した、教え子の顔を思い浮かべ、涙ぽろぽろだった私を、どうすればいいの?