パワーアップ

 こんにちは。私は「たたかうおばあちゃん」を書いています。これがおばあちゃん、89歳です。これが私です。この4月に「ベターケア」誌の取材を受けたときにカメラマン大東照男さんに写していただきました。「ばあちゃん、これ、誰?」「わたしです〜」「これは?」「知りません」となります。べつに娘を忘れても生きていけます。
 ばあちゃんは百姓でした。米と自家用の野菜を作り、余った物は友人・知人・ときには道行く人にあげていました。80歳を過ぎてからそれがおかしいのです。毎日、畑に行き、草を引きます。畝の草が終わると、まわりの平地や土手まで引きます。「ばあちゃん、そんなとこ、引いたらあかんやんか」と言うと「草、引かな、草、絶えへん」と言います。雨が降り、土が流れて荒地になりました。まわりの草は引いたらあかんのです。名も知れぬ野の草が地面を守っていたわけです。
毎日行くので「休みなさい」と言うと「ええ天気に家におったら、怒られる」と言います。こんなおばあちゃんはよそにもいるのかしら、とインターネットで探しました。みつかりません。そこで自分で書き始めたのが「たたかうおばあちゃん」です。5年前でした。
 知り合いから「うちも介護認定を受けたいのだけど」と相談されました。市役所に認定調査を申し込む前に「こまったことだけメモ」を書いてから電話をするように教えてあげました。ばあちゃんが役にたったのです。
 丸尾多重子さんと知り合いました。まるちゃんのお父さんが入院されて付き添いのお見舞いに「たたかうおばあちゃん」を印刷して送りました。「本を読むのが苦手なまるちゃんがこの本はすぐに読めました」と返事をくれました。役にたったのです。
 それからは、もうごらんの通り。毎月のように「たたかうおばあちゃん」の日記を印刷して絵を描いて、コピーしてとじて配りまくります。いつもリュックに入れていて、ときには初対面の人にもさし上げます。
 まず、介護をしている家族の方です。「うちもおんなじや」「私だけがしんどいんやない」と共感してもらえます。
 次はご近所です。ばあちゃんがトンネルを出て道を歩いてきます。突然横断します。「ばあちゃん、見て渡らんと車が来るやんか」と言うと「はよ、死んだらええがな」にくたらしいのです。友達が「大丈夫よ。ばあちゃんを見たら赤信号。徐行するから」別の友達が「どういう会話?」「笑ってごまかせ介護家族です。深刻になってはやっていけません」おかげで近所の人は、ばあちゃんが迷子になっても知らせてくれます。

 「在宅介護を支える」ということを考えてみたいと思います。
 一つはサービスの利用です。うちは幸いなことに、ばあちゃんが行く畑の隣が総合福祉センターなのです。診療所を利用していましたし、ばあちゃんが施設の利用者に畑を貸して野菜作りを教えてあげたりもしていました。顔なじみですから、介護保険が始まってすぐに「要支援」のときからデイサービスに行かせてもらいました。「要介護1」のときに1泊2日のショートステイの利用を始めました。ステイの回数を徐々に増やしてもらって「要介護2」の時には月の半分になっていました。デイと組み合わせると、家にいるのは水曜日と土・日だけでした。大きな施設でショートの定員も多く、私が頼む日はとれています。ただ「要介護4」になったのに、使える回数は月の半分というのが変わらなくてしんどいと思います。これは国が「在宅を支えるために」決めた基準だそうですが、これをなおしてもらわないと、と思います。
 もう一つは、施設のケアの方針です。在宅を支えるためには、家でばあちゃんがどのように過し、家族が何を望んでいるかを知って、家に帰ってからの生活につながる支援でないと困るのです。
 ばあちゃんは運動神経が抜群にいいし、体力もあります。「怪鳥ガルーダ」という名前を聞いたとき「どんな鳥だろう?目を放すといなくなる、ばあちゃんのようなものかな?」と思いました。またすぐに怒ります。近視で近くしか見えない、耳が聞こえない、聞いても忘れる、という立派な理由があるのですが、職員の方がわかってくれません。「聞こえてませんよ」と言っても「そうですか?」「書いてやってください」と言うと書かれた内容が難しいのです。「ばあちゃんがいやがることは無理強いしない方針です」と言われ、止めない、叱らない、ものですから、ばあちゃんに完全になめられてしまったのです。
 介護の本を読むと「80歳まで生きてきたのだから、もう好きにして、好きなときに起きて、好きなときにご飯食べて...」と書いてあるものに出会います。ずっとそこにおいてもらえるなら、それでいいでしょうが、在宅の場合は困ります。我が家の時間帯・我が家のルールに乗ってもらわねば生活がなりたちません。朝はちゃんと起きて、夜は静かに寝てもらわないと困るのです。
 ショートステイでも同じです。「今夜はどこで寝るんや?」「あちらです」「夕食は何時や?」「6時です」これを延々と繰り返し「きいとんのに返事してくれへん!」と怒ります。聞いても忘れる。すると「ショートステイの連絡メモ」に「不穏でした」と書かれました。「ばあちゃんが怒り出す前に、職員が気がついたら止めるのですが、うまくいかず、沸騰してしまいました」と言われました。そこで「たたかうおばあちゃん」に「ばあちゃんは、やかんか?」と書いたのです。穏やかに「普通の日本語で話してください。不穏ではなく、機嫌が悪い、と書いてください」とお願いしました。「不穏」の言葉は消えました。「ネットに書くよ」と脅したわけではありません。
 
 ブログで脅してはいませんが、武器にはなるなあと思いました。暑中見舞い代わりに「たたかうおばあちゃん」をコピーしてあちこちに送りました。私の先生が「あなたは、たたかうおばあちゃんを守るためにたたかっているのですね」と書いてくださいました。あ〜そうか、と思いました。わかってくださってるんだ、先生はありがたいなと思います。
 たたかう相手は職員さんではありませんよ。そこを間違わないでください。共に戦う仲間だと思っています。
 提案します。いますぐ、誰にでもできて、お金も要りません。
 目の前のじいちゃん・ばあちゃんの「おもしろい話」を探すのです。ばあちゃんのせりふ・しぐさ・きっと笑える話があるはずです。スタッフの皆さんが笑えば、相手のじいちゃん・ばあちゃんも笑ってくれると思います。それをまわりの人に話し、笑いの輪を作ってください。そこから世界は開けると思います。
 ブログも書きましょう。「ヘルパーは見た」「じいちゃん語録」「ばあちゃん語録」なんでもかまいません。携帯電話でメールが打てる人なら、ブログは書けます。「こんなこと言った」「赤とんぼがいた」「秋晴れだ」「給料あげて」それでいいのです。
 訴えること・共感すること・続けることが大切だと思います。