認知症サポーター養成講座のつづき「認知症高齢者の介護を通して」

 もう私は何を言ったか、あらかた忘れたし、うんうんとうなづく人、笑う人、びっくり眼の人...でも誰も録音してくれていないのだ。
2冊の「本」の間違い
認知症を学び地域で支えよう」 
 たとえば「7.認知症の人と接するときの心がまえ」の中の「たまたま駅でまごまごしていたBさんは、認知症のために自動改札が通れないらしい、だったら、ちょっと手助けをして改札を通る手伝いをすればいい。さりげなく、自然に、それが一番の援助です」
 とんでもない!自動改札を通してどうするの?帰れなくなる。どこまで行ってしまうか、わからない。それこそ、本日の講師の親戚の人のように「あとでどこかでみつかったときは最悪の事態」になりかねない。通すな!このときに止めて、警察に連絡してください。
「地域のみなさんへ 認知症でも大丈夫」
 これはこんなに「おとなしい」徘徊の人はいるのか?とまず、疑う。「行かねば」とつき動かされている人は、必死の形相になっていると訊いた。うちのばあちゃんでも「帰る!」となると一心不乱。目がつりあがる。この冊子でいえば、7.くだものやさんで、桃を手にとっているところで、お店のご主人は「いい桃だろ?」と言ってから、すぐに家に電話をみて、迎えにきてもらってください。
 このような間違いだらけの「本」は抗議をしなくては...
 
次に書きかけの「認知症の母と暮らす その2」を見ながらたどる。
1.予防は可能か? 11月10日の鳥海房枝さんの講演によれば「予防はできない」元看護師の鳥海さんが言われるのだから間違いありません。うちのばあちゃんも「手先を使うとぼけへん」と言い、春から秋まで畑仕事、冬は編み物をしていましたが、ぼけました。
2.ぼけた理由は「長生き」だそうです。(ここでどっと笑う)ばあちゃんには兄弟姉妹が7人いて、長生きしてぼけた人もいるし、ぼけない人もいる。「人間、年をとったら、体が不自由になったり、物を忘れる、それが普通。誰かの世話にならねば生きていけない。それなら上手に世話になろう」と鳥海さんは明快です。
3.ばあちゃんから学ぶことは、若いときからの心得として「目と耳と歯を大事にしてすぐに治療する」「感謝してくらす」です。
4.ばあちゃんも80歳すぎてからなので、いまふうに「病気」というよりは、昔からの「老人ぼけ」として対処してきた。「老化」現象。その自慢は、専門医を受診していない。怒ってじっとしていられないので、MRIもCTもとっていない。福祉センター診療所で精神科の先生の診察を受けたが「100引く7」のような質問をされただけで、治療はなし。
5.家族の気持ちとして、ちょっとおかしい、というころは、まわりの人にわかってもらえない。人と話すと受け答えできる。わかってくれたのが、ヘルパーをしている友達で、わかってくれなかったのが、内科の主治医。
6.認定調査で「服を一人で着られますか」と訊かれると「はい」と言う。今、要介護4でも、服を1枚ずつ順に渡せば着られる。渡し間違うと、パンツを頭に持って行ったりする。オーケストラの指揮者になってあげたらできる機能はある。
 認定調査を申し込む前に、紙に「困っていること一覧表」を書き出してから電話をかけて、面接のときに「特記事項」に書いてもらう。こうして教えてあげた人は、認定されてデイサービスに行っている。
7.「オープンにして地域で支えよう」と言われるほど、簡単ではない。うちのばあちゃんも門の外に出て、よその人の車に乗り込んでしまい「乗せたらあかん」と言うと「ちゃんと見てへん、あんたが悪い」と言われた。
 その前は「その車、乗せて」と言う相手がパトカーだった。もっと前のぼけかけのころは、ばあちゃんが左右を見ないで道を横断するので「ばあちゃん、ちゃんと見ないと危ないやん」と言うと「はよ、死んだら、ええがな」と言う、にくたらしさ。横にいた私の友達が「大丈夫。ばあちゃんを見たら赤信号。徐行するから」と言って、笑い話。「介護は暗い」のはダメ。明るくいきましょう。
8.今年の5月に「ベターケア」に掲載され、近所で回覧してもらった。ある人が「主人が、こうして暮らせるならいいなあ、としんみり言ったよ」と言ってくれた。ご近所がやさしくなった。私もたまにはやさしくできる日ができた。
 ばあちゃんはもう「草とはたたかわない」が、私の先生が「あなたはばあちゃんを守ってたたかっているんだね」と言ってくださったので、これからも頑張ります。