教師の根性

 夕方、ばあちゃんは起きて、雨戸を閉めてまた布団にもぐる。晩ご飯なので起こしに行ったのは、6時過ぎだ。ばあちゃんは布団から半身を起こし、窓を開けて外の高速道路の明かりを見ている。「閉めて」と言っても通じない。布団にもぐってしまった。また起こして窓を閉めてトイレに行く。自分でズボンをおろすと中途半端なのでおろしてやる。ちゃんとおしっこをしているか、確かめようがない。自分でふいてズボンをあげるから、手洗いを手伝う。「腕まくり」「洗って」「石鹸つけて」「流して」「タオルでふいて」と言ってもわかっているのか「何か言うてるな」と思いながらやっているのか、区別はつかない。日本語は一つずつ忘れていく。それでも言っていないと、一つずつ動作をしていないと、もうこの家では暮らせなくなる。何もかもしてもらうがままの暮らしになってしまう。
 これは教師の根性かも知れない。「介護者が教師、というのが最悪。いつまでも叱咤激励する」と言われている。でも、私はあきらめない。投げ出さない。見捨てない。(いや、何度も平気で見捨ててきた...)