では、今の実力は?

 シャツ・・・すっと渡すと、足を入れそうになる。手を通すように気をつけて渡す。
 パンツ・・・紙パンツ。昼は薄型。夜はたっぷり750cc。普通は失敗がない。
 足のむくみ・・・たまにある。長靴がはけないようなことはなくなった。
 パッチ、ズボン・・・前向けにはけるように渡しているのに、わざわざ「前後」を確かめるときがある。手を出して自分で持ってはくのが基本だが、たまに足を出してくるときがあり、デイやステイで、こうしてはかせてもらっているのか?と思う。
 ご飯・・・今もお箸で、ぐんぐん食べる。つまっても自覚できないのがあわれ。吐き出している。でもめったにない。でも「これだけ気をつけて食べさせているのに、なんでつまる?」と言いたいぐらい「突然」のこともある。
 畑・・・小さい草が生えている畝を探して引くのが笑える。「赤しそ」だけは「売り物」らしく、小さくても引かないが、他の野菜は小さいとあkんなぁ。引いてしまうなぁ。
 歩く・・・ぐんぐん歩く。途中で「腰が痛い。休ましておくなはれ」は言うが「壁にもたれたり、ガードレールにもたれたりして、立ったまま休む」「家に帰って休む」が原則。道路の低さに腰をかけることは立つ時がしんどいのでやらせない。
 起きる・・・朝、起こすと「腰が痛い」と言うので「寝てると痛い」と言って、無理に起こさず、自分で起きてベッドから出て歩くのを見守る。トイレまでスタスタ行って、あとは「痛い」のを忘れてしまうから、おかしい。
 トイレ・・・自分から行くときは稀。「うんち」のときは自分で行っている。連れて行っても、オシッコをしないときがある。畑ですることはなくなった。連れて行って、ズボンもパンツも下ろさずに便座に腰かけようとするので、私があわてることがある。ては洗わないなぁ〜。
 台所のドア・・・前は勝手に台所に入り、食べ物をそのまま手づかみで食べるので、鍵をかけていたら、ドアノブをガチャガチャして、壊したこと2回。今はガチャガチャするのも忘れている。
 食べることに対する興味・・・朝起きて「ご飯」とか、家に帰って「ご飯」とかは思いつかない。ただし「ご飯やから、静かにして」「静かに食べて」はわかるし、畑から帰るとき「早く帰らんとご飯がもらえない」と言うと一生懸命歩く。
 人を見分ける・・・「私」のことは「おばちゃん」「お母ちゃん」夫は「お父ちゃん」「おっちゃん」デイの先生と思っているときもあるかも? ただし「家の者」と「よその人」は一瞬で見分け「よその人は優しいから」甘えるし、怒ると、たたくわ、けるわ、なんでこういう「暴力」を許すか?と私たち家族は思う。「悪いことは悪い」「これはしてはいけない」とビシッと、それも最初にしておかなくてはいけないことだった。なめられているから、もう戻せない。「利用者だから何をしてもよい」とは思わないし「年とったから、もう好きにしていい」とは思わない。「人間」ではなくなってしまう。しまっているのが悲しい。わかってほしいのは「家族は悲しい」のです。