人が来る日 

 毎日出かけていたら、ばてて、昨日は朝から溜まった日記を書いていた。長尾さんの講演はあとにして、滝川先生を書いている。やっと半分書けた。これを読んでくださっている方、書けたら報告しますので、20日に戻って読んでくださいませ。
 そこへ、玄関で、ピンポーン。ちょっと離れた町内の若い友達だ。若い人と知り合うのは、私が「子供会のおばちゃん」をしていたからだ。赤ちゃんだった子がもう5年生なのだと言う。(私も年をとるはずだ、なんて一般的な感想は浮かんでこないので、あしからず...若い友達がいて幸せ、と思うのみ)「『紫陽花の会』に私も行きたい」と言ってくれた。「ありがとう」と言ってあがってもらって、ばあちゃんの写真を見せたり、自分のを見せたり「たたかうおばあちゃん」を見せたり、いろいろ話をしたら「もうこれで満足。楽しかったです。今回、満員なら遠慮して次回に誘ってください」と言う。あはは。ま、しかたないか。
 
 次は小学校の先生から電話で「総合学習の講師に来てほしい」と言われる。5年生が米を作っているのを材料を提供しているからだろう。「稲とお米の勉強です。5年生を3つのグループに分けました。講師は、品種改良をしている方とお米やさんとお百姓さんにお願いしたいのです」なるほど。「はい。では中学生用の『農家の仕事』先生にお渡ししたの、使いましょうか」「では、学校でプリントします」「フロッピーに入れています」「取りに行きます」話はすぐに決まった。他にも中学生が来たときに作った「野菜のカレンダー」がまだあった。応接間の本棚の上にビニール袋に入れて置いてあった。カレンダーの裏に、それぞれの月に蒔く野菜の、種が入っていた袋を貼って「3月*赤じゃがいも(じかに植える)*白菜・レタス(カップに種をまき温室に入れる)*大根・人参・ねぎ(じかまき)」などの説明が書いてある。袋の色などビニールコーティングのおかげで色あせていない。使える!それに「田んぼの模型」小さな箱を重ねて紙粘土を貼り「棚田」を作った。一番上が「畑」で「ここが畝、ここが谷、周りが畦」と説明するための物だ。何でも置いておくと、役に立つ日がくるもんだ。うふふ。先生は「今、帰りです」と来られたのは、もう7時前だった。ばあちゃんはもう寝たあとだった。
 それにしても、講師に行くにはばあちゃんのお迎えの時間を早めてもらわなければならない。送ってきてくださったスタッフさんにお願いして電話でオーケーをもらった。こうしていつも融通してもらえるので、助かる。

 次は小学校の地区委員さんの親子とおばあちゃん。「地区懇談会に来てください」これは民生委員をしている夫の仕事だ。玄関に置いていた人参と大根を小さなお子さん二人にプレゼント。大人には?「たたかうおばあちゃん」セット。あはは。
 次は友達から電話。この人も民生委員をしていて「紫陽花の会に行きます。介護者の友達も行きたい」つまり2名ね。大変だ〜。予約言わなくちゃ。
 大阪の人からファックスが来たので電話をかける。「雨降りだからいると思った」だそうで、あはは。いたのです。雨は降ってなくて、畑にも行ったけど、すぐに帰ってきたのよ。草を見たらゾッとして、や〜めた、になった。あかん、あかん。知り合ったのは「つどい場さくらちゃん・北海道・車椅子の旅」「あれが最後の旅になったわ。もう行けない」と言われた。そう、その時が勝負。高齢者と障がいを持つ人には「また来年」が来るかどうかわからない。だから、今、出来るだけのサポートをする。いろいろ話はとんで「友達に言ってもわかってもらえないもんね」と言われる。そう、経験がないとわからない。だから、話したくなったらいつでも電話してね。「いないじゃない!」あ、ごめん!そうだった。夜ならいるかな?いないときがあるよね〜。ごめんね。
 まだある。夜、教え子からメールが来た。「先生の家に行こうという話。いつにしましょう?」あはは。土曜日がいいかな?
 忘れていた。前のケアマネ君に「電話をちょうだい」と頼んでいたらかかってきた。「安永講演会」にも何度も来て下さったし、近況報告などをしたかったのだ。特に去年はいろいろあったので...私が言って、それについて彼の意見を聞くと「合わせ鏡」のように自分の意見と行動が投影されて、間違っていたことも合っていたこともわかるのだった。ありがたい「同志」のような存在だ。