「旅日記を読んで」参加者の方からお手紙

 暑中お見舞い申し上げます。暑さきびしき折柄、ご自愛下さいね。
 「旅日記」受け取りました。
 すももさんはじめ、同行の皆様には大変お世話になりました。ご主人様にも入浴やバスの乗り降りのサポートなど、ひとかたならぬお世話になり、感謝しております。
 夫は穏やかながら身体機能もゆるやかな下降線をたどりつつあります。旅に出ても室内での入浴に限られ、3〜4年ぶりの温泉でした。
 ブログでお会いしているので1年ぶりとは思えず、勝手に親しく感じております。
 さて 旅日記を拝見して思うこと
①よくぞ ここまで と...! もう観察記ですね。映画の製作時のスクリプターと同じです。
 私など“よかったーっ!”という面に あれとあれ、あそこ という美しい情景の点を 嬉しかったや楽しかった線でつなぐ位です。ただただ細やかな描写に驚き、読み進め、3泊4日の旅を思い出しています。
 行けなかった所にも連れて行ってもらった気になります。
②次に 本当に本当にお疲れになったことでしょう。
 旅行記の中で自分の名前があると、つい 目に力が入ってしまうのですが、昨年の旅日記にも、初めて参加させて頂いた私達が勝手に動き、サポーターとしてついてくださった方々を頼らないという印象を持たれたようなのに対して「嬉しさのあまり」とお便りを出したのを覚えていますが、今年もまた似たような思いをもたれたという文面があり「それは違うよ!」の思いをひとこと。
 昨年も、いつ見てもメモをとっておられるようなお姿に「そんなに神経をつめられてはお疲れでしょう?景色もご覧になれないのでは?」とお聞きした時「大丈夫、いつものことよ」と軽々とおっしゃいました。が、ご自分は楽しめてはいらっしゃらなかったのだと「行かないと決めた開放感」という添え書きに確信しました。
 私が申し上げたことに対しても、多くの情報の一コマを 同じことを見聞きしても、受け取り方、表現の仕方は百人百様で、思いが伝わらないこともありますが、すももさんと私では、例えば、サポートに対しても感じ方や思いの違う部分があります。
 北海道旅行の場合、すべての行程に私達への皆さまの温かい目がありました。
 もちろんそれを負担と感じさせない細かなお心遣いがあってのことですが、声を出さなくても どんなシーンにも、さりげなく、押しつけがましくなく サポートされているのを感じました。
 私は そんな皆様にも 私達と同じように美しい景色など、旅を充分楽しんで頂きたいと 心より願っています。他人に胸いっぱいの感動を与えて、ご自分達は長く引きずる疲労感が残るでは、心苦しい限りです。 
 私共、夫婦に限っては ありあまる程のサポートをして頂いております。頼れない、頼らないの問題(視点)ではありませんのです。
 すももさんはじめ、皆様にはそんなお疲れが参加回数分、溜まってきているのでは?という心配をしています。
  
 ブログでは介護の先輩に「すごい!」と思ったり、思わず笑ってしまったり「とても真似できない」と自信をなくしたり「することをしているから言えるんだ」と思ったり、いろいろなすももさんに会うことができます。 
 次は行かないと決め「開放感いっぱい、遊ぶぞー!」と言っておられるすももさんと また いつか 旅で?お会いしたいものです。
 長々とごめんなさい。お健やかにお過ごしくださいませ。「旅日記」ありがとうございました。