筍文化を受け継ぐ

 しかたがないので、ばあちゃんを寝かせてから掘りに行った。竹薮から侵入して高い土手に生えているのを去年はよう掘らずに今もそのまま竹がある。冬の間に切りたかったが、手が回らなかった。その近くに伸びているのが土手の下から見えたのだ。掘りに行くと、それはかなり伸びていたが、そばには頭が5cmで田ぐらいのが3本もみつかった。土手は上の畑の肥料が滲みてきて栄養たっぷりの上、土も柔らかいので上等だった。他にも下流のヒマラヤ杉の下には落ち葉がフカフカのベッドになって良いのがみつかった。
 これはもう子どもに見せるしかない。いつもの「猫の手お手伝い」さんに持って行って、近所の小学生を呼んでもらった。二人とお父さんが来てくれた。みな、こんな巨大筍は見たことが無いのでびっくりしている。「大丈夫、ここまで土に埋まっていたから、まだ柔らかいよ。皮をむいて切って、鍋に水を入れて糠を入れてゆでる。弱火でゆでて、ふきこぼれないように。お箸をさして柔らかくなったら火を止めて、そのままお湯がさめるまで置いておくのよ」と説明すると、一人は「おばあちゃんがやってくれる」と言い、もう1軒のお父さんはしっかり聞いて質問するし、娘は私の肩をもんでくれた。
 はたと思い当たった。これは「筍文化が失われる」のではないか?
 近所の叔父さんに昔「筍、食べる?」と訊くと「食べるよ。日本人やもん」と言って持って帰った。今も古くからのおつきあいの人は「もう持って来てくれると思って待ってた」と言う。「筍ぐらい買いよ〜」と言うと「むいたら小さくなるのに、もったいない。待ってる」と言う。高いよね。500円ぐらいする。
 若い家庭では生の筍を買ってゆでたりしないのだ。この前にあげた小学生親子も「ゆでたことない」と言うのでしっかり説明した。これからもときどきは地元の物をあげたりして伝えていくのがいいかも?