「政権交代 新たな『常道』に」 政治エディター 根本清樹

 「’09年8月31日」は後世、歴史年表に太い活字で特筆されるだろう。
 日本の民主主義の前進が、衝撃的な数字で示された。
 現職首相を退場させる。後継を指名して舞台に上げる。永田町の政争などを介さず、有権者自身の手でばっさりとそれをやってのけた経験は、過去にない。
 明治憲法が発布された1889年から数えて120年、日本憲政史上初めての大事件である。
 1955年の結党以来続いた自民党「第1党」体制も、ついに終止符を打った。
 「政治改革」の20年が実を結んだ。
 今回、有権者が真に選びとったものは何か。
 「政権選択」の選挙ではあったが、際だったのは自公政権への逆風である。
 「自民党をぶっ壊す」。小泉元首相が切ったたんかを、有権者は忘れていない。
 小泉後のていたらくとの落差が大きすぎた。
 有権者が望んだのは、民主党政権という以上に、政権の「交代」それ自体だったのではないか。
 「政治はばくちじゃない」
 麻生首相政権交代機運にいら立ちを見せた。しかし、継続を断ち切って、変化に「賭ける」のも政治である。
 政権交代をふつうに起こす新しい政治のあり方をこそ、有権者は求めたのだと考えたい。
 当然ながら民主党のけいこ不足は否めない。「2大政党」というだぶだぶの服を、何とか着られるずうたいに育ったばかりである。それでも幕はいや応なく上がる。
 「あすは我が身」の緊張感を保っていくしかない。「どちらに転んでもよりよい政治」(鳩山代表)の初心を、忘れてはならない。
 自民党は「政権党」という、いまやほとんど唯一ともいえる存在証明を奪われた。しかし、このまま衰えに身を任せていいのか。
 有権者が選んだ政治の新しいあり方を定着させるには、自民党の再生が欠かせない。理念、政策、組織をめぐり、身を切るような議論を始めなければならない。
 大正から昭和にかけ、当時の2大政党が交互に政権を担う時代があった。「憲政常道」と呼ばれた慣行である。その評価は様々であり、現代と同列にも語れない。
 ただ、私たち有権者は今、新たな「常道」を開く入り口にたどり着いたとはいえる。この達成を大切にしたい。