喪中葉書

 今年きた喪中葉書は16通だった。
 私は喪中葉書が嫌いだった。年賀状の来ないお正月は寂しいからだ。自分は出したくないと思っていた。
 父は12月27日に亡くなったので喪中葉書も間に合わず、寒中見舞いを出して死亡をお知らせした。
 実父は2月に亡くなり、親戚以外には知らん顔して年賀状を出した。
 ばあちゃんが亡くなったのは9月だった。四十九日法要を11月初めに勤めたので、亡くなったあとのお通夜とお葬式を書いたブログを抜き出した手紙を「喪中お手紙」にして出した。かなり気合いが入っていたと思う。なにしろ「本を出すのだ」と張り切っていた時だったから。
 しばらくして、喪中葉書が届き始めた。年賀状をやりとりしている人達だから、私の喪中手紙を読んでいる方達だ。そのどれにも何の書き加えもない。もともとないのかも知れない。同級生の方の「寂しさの極みです。ほんとうに心優しい母でした」というペン字が印象に残っているぐらいだから。
 しかし、私が延々と「ばあちゃんが亡くなった。きれいな遺体、立派な骨で、大往生だった」と書いたので、よけいに何の書き加えもないのかなと思ったりして…考えすぎかな? 喪中葉書の決まりきった文章の中にも、亡くなった人一人一人のドラマがあるのだ。あるけれど、書けないものなのかも知れない。
 さて、今年の喪中の葉書で、亡くなった人のうち、90 92 94 95 97才と90代が5人、80代が2人、70代が3人、書いてない人が5人であった。
 うちのばあちゃんが92才、満91才と7か月であったから、ばあちゃんよりも高齢の方が4人はいたことになる。90才を超えた方というのは、本人の健康と運の良さはもちろんだが、家族の深い愛情と家族またはそれに変わるプロのスタッフの方々の日頃の手厚いお世話のおかげに他ならない。
 日野原重明先生の講演を聞く幸運を得たが、90才を超えて、あの活躍ぶりは本当に例外だと思うのだ。「100才万歳」のテレビ番組も見るが、それも家族の支えが見てとれる。
 話変わって「家族葬で見送りました」と言う人にたまに出会うようになった。それはいいが「隣近所にもだれにも言ってない」はやめてくれないか。せめてお線香をあげに行く余地は残しておいてもらいたい。「お香典は辞退します」と言えばすむのだから。「義理で来てもらってもありがたくない」かも知れないが、「せめて一言お礼を言いたい」人だっているのだよ。