スペシャル

 ある人が「我々老人よりも障害者の団体の方が結束力が強いね。また障害児のお母さんたちは明るいわ。話していると癒されるわ」と言う。「それは山を超えたからよ。そこまでに行くにはいろいろあったと思うよ」と私は言った。「それは昔はそうではなかった。今 保障されている権利は与えられたものではなく、勝ちとってきたものよ。みな、親たちが話しあい、団結して要求し、立法化してきたものよ」
 そうなんだよ。私が最初に担任した生徒は施設に入所していたが、それまで通っていた学校に「就学猶予」一度も学校に通っていない子供は「修学免除」を出してから入所していた。学校教育に耐えられないから就学を免除して下さい。つまり学校という文部省から縁がなくなった。施設を出るときに中学の卒業証書のないまま社会の荒波に放り出された子供がどんな苦労をするか、想像してみてほしい。教育と福祉の谷間に落ちたのだなと思う。
「施設に入っても学校教育を受けたい。施設内学級に派遣教師を下さい」と親たちと施設職員の方々の運動で学級が開設され、地域の学校から教師が担任として派遣された。派遣という名前でも、もちろん正規の教師である。それが私だったのだが、実は経験はなく、勉強しながらひたすら頑張っただけだ。そして生徒たちと買い物に行くだけで世間の好奇の目と憐れみにさらされた。そのときに何度も悔しい思いをした。
特殊学級とよばれていた。児童生徒が特殊だという意味に受け取られる。それは違う。特殊な配慮のいる教育だ」
という話をすると「スペシャルという単語があるじゃない」と言う。
 スペシャリスト?知的障害のある人たちのオリンピックをスペシャルオリンピックと言うのだと知ったのは前回のオリンピックの頃だった。パラリンピックよりもっとマイナーなのかしら?
 いつだったか、さくら会の講師にきて下さったお医者さんが「みなさん、今は認知症といいますが、以前は痴呆症とよばれていました。痴呆の意味がわかりますか」と問われ「痴は、しれる。しれもの、織田信長のような たわけ者。呆は、ほうける。ぼける。でも、ばあちゃんが年をとってぼけるなんて普通です。昔、障害児教育では障害の程度を、痴愚・ろ鈍・白痴と分けていました。親ごさんが聞いたら泣くでしょう」と言うと驚かれた。そういうところで私は働いていたのだ。文部省が変だった。