3月6日の講演の原稿

「イキイキ福祉・家事援助」〜サポートを受ける立場 から〜
1.母の生きてきた道  
 大正7年(午年)生まれ。神戸市北区の農家の3男5女の5女。13歳から奉公に行く。結婚したときは神戸市の南部に在住。夫が戦争に徴用されたため、有馬郡の婚家に帰り、舅・姑と同居する。「百姓の嫁」は辛い時代。

2.農業という仕事、「お天道様のおかげ」という暮らし方  
 戦後、夫が復員し、共に農業をする。牛を飼って田を耕し、荷車で米や肥料を運ぶ。米と野菜を出荷して、田や山を買い、「よう働く夫婦や!」と評価される。娘のすももが結婚、孫が3人生まれる。ばあちゃん、68歳のときに夫が死亡。ばあちゃんは畑の野菜作りが主となる。
   「いや地」という同科の植物の連作障害を避けるため、ばあちゃんは
   「今年、ここは**、去年は++、その前は@@」と記憶力抜群。
 マメ科・・・大豆・小豆・豌豆・空豆いんげん
 アブラナ科(十字形の花)・・・大根・かぶら・キャベツ・白菜
 ウリ科(雄花と雌花がある)・・・胡瓜・へちま・南瓜・西瓜・まくわうり
 ナス科・・・茄子・トマト・ピーマン・じゃがいも などを続けて植えない。

3.ばあちゃんがちょっとおかしい!   80歳ごろ
*野菜の苗を植えつける間隔が短くなった。姪が気づいた。
*心臓の検査入院のときに同じことを何度も言う。薬を飲みすぎる。
*「野菜」は忘れて「草を引く!」に集中し、寒くても畑に行く。
 「首から下は元気、元気。あたまは宇宙人」のばあちゃんになる。
$お医者さんがわかってくれない。
$友人・知人に支えられる。ヘルパーをしている人などの助言が有効。
$畑の隣にある阪神福祉センターに相談に行った。
*「80歳すぎたら、どこか故障しても普通」と思っていた。親と同居も世話をするのも普通の時代。「認知症は病気だ」とは思わなかった。

4.2000年に介護保険スタート。早速、デイサービスから利用し始めた。
*市の認定調査を受ける。ノートに「ばあちゃんの困ったこと日記」を書いていたのが認定の役に立った。皆さんにおすすめ「元帳」!
*週1回のデイサービスから利用し始め、徐々に増やす。定期的にショートステイを利用。ホームヘルパーさんも短期間利用して、さいごは特別養護老人ホームに入所。そのときは「要介護4」だった。2009年に入所して2週間目に死亡。腹部大動脈瘤破裂で大往生。「立派な骨」

5.介護は一人で頑張らない・・・豊富な知識と人脈が介護を楽にする
*日記「たたかうおばあちゃん」をインターネットで書く。「手伝って!」
*「たたかうおばあちゃん」をコピーして配る。「おもろい!」
*「西宮市・認知症の家族の会・さくら会」に入る。
「つどい場さくらちゃん」にも入り、講演会に参加して学ぶ。
*介護情報誌「ベターケア」に掲載される。まわりが優しくなった。

6.本「たたかうおばあちゃんが行く!」を出版して見えたもの
*「本人は何もわからないから幸せ」は間違い。
「頭がいんでしもぅた」と不安を訴えていた。
*初期から適切なサービスを利用することで
長い期間、元気で暮らせる。

7.認知症は予防できるのだろうか?

*目と耳と歯を治療する
*感謝の気持ちと感動する心が大切
認知症になっても安心してくらせる社会を作るほうが大切

8.シルバー人材センターに期待する・・・
一人暮らしの方、高齢世帯の方、日中は一人になる方、など、家事援助やこまごました援助を必要とされる方が増えると思います。介護保険でまかなえないところを手伝ってあげたら、その方が長く元気でいてくれる。社会にとっても得になると思います。私はシルバー人材センターを利用する機会がなくて残念でした。