「大往生したけりゃ 医療とかかわるな 『自然死』のすすめ」中村仁一著 幻冬舎信書 2012年

 届いた日に読み終えた。わかりやすく読みやすい本である。一晩で読めたら自信がつく。
 面白くて「大賛成」と思いながら読んだ。すぐに書けなかったのは、中身をいろいろ考えていたからだ。
はじめに
第1章 医療が“穏やかな死”を邪魔している
 *医療に対する思い込み
 *「あなたは確実にこうなる」と断言する医者はとんでもないハッタリ屋
 *本人に治せないものを、他人である医者に治せるはずがない
 *ワクチンを打ってもインフルエンザにはかかる
 *解熱剤で熱を下げると、治りは遅れる
 *鼻汁や咳を薬で抑えるのは誤り
 *「自然死」の年よりはごくわずか
 *介護の“拷問”を受けないと、死なせてもらえない
第2章 「できるだけの手を尽す」は「できる限り苦しめる」
 *「お前なんか、そうやすやすと死ねんからな」
 *極限状態では痛みを感じない
 *「自然死」にしくみとは
 *家族の事情で親を生かすな
 *長期の強制人工栄養は、悲惨な姿に変身させる
 *鼻チューブ栄養の違和感は半端じゃない
 *“老衰死”コースの目安は7日〜10日
 *植物状態での水分、栄養補給を中止した米国の2つの事例
 *食べないから死ぬのではない、「死に時」が来たから食べないのだ
 *分娩台での出産は、実は不自然
 *「死に時」をどう察知するか
 *“年のせい”と割り切った方が楽
 *「看取らせること」が年寄りの最後の務め
 *死ぬ時のためのトレーニン
第3章 がんは完全放置すれば痛まない
 *死ぬのはがんに限る
 *がんはどこまで予防できるか
 *「がん検診」は必要か
 *「早期発見の不幸」「手遅れの幸せ」
 *「がん」で死ぬんじゃないよ、「がんの治療」で死ぬんだよ
 *超高齢者のがんは長生きの税金?
 *余命2、3ヶ月が1年になった自然死の例
 *手遅れのがんでも苦痛なしに死ねる
 *医者にかからずに死ぬと「不審死」になる
 *ホスピスは“尻拭い施設”?
 *最期を医者にすがるのは考えもの
 *がんにも“老衰死”コースあり
 *安易に「心のケア」をいいすぎないか
第4章 自分の死について考えると、生き方が変わる
 *「自分の死を考える集い」は16年目に突入
 *「あなたもお棺に入って、人生の軌道修正をしてみませんか」
 *救急車乗車拒否の実演に出くわす
 *「死生観」に大きく影響した遅々の死にっぷり
 *“生前葬”を人生の節目の“生き直し”の儀式に
 *延命の受け取り方は人によって違う
 *「死」を考えることは生き方のチェック
 *「自分の死を考える」ための具体的行動とは
 *意思表示不能時の「事前指示書」はすこぶる重要
第5章 「健康」には振り回されず、「死」には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がける
 *生きものは繁殖を終えれば死ぬ
 *医者にとって年寄りは「飯の種」
 *健康のためならいのちもいらない
 *生活習慣病は治らない
 *年寄りはどこか具合の悪いのが正常
 *検査の数値は微妙なことで変わる
 *基準値はあてになるのか
 *病気が判明しても、手立てがない場合もある
 *年寄りに「過度の安静」はご法度
 *人は生きてきたように死ぬ
終章 私の生前葬ショー
 *モダン婆ちゃんとの出会い
 *親父の死
 *クイズにはまる
 *仏教とのご縁
 *「自分史」のまとめ
 *私の「事前指示」その1
 *「24時間ルール」の誤解
 *私の「事前指示」その2
 *私の「贈る言葉
おわりに

 中村先生は1940年長野県の生まれで、京都大学医学部卒業。お勤めも京都なので、ときどき関西弁が混じる。だから読みやすいし、笑いながら「うんうん、そうそう」と思うのがほとんだだった。
 見出しを見れば中身がわかる。
 「がんは治療しなければ痛まない」とか「死ぬならがんで」とある。その昔、「たたかうおばあちゃん」のおじさんが「胃がん」だと言われながら、病院で、治療よりも生活するだけという状態で、80歳を過ぎても、何年も「元気で」暮らしていたのを聞いているので、お年寄りなら、そんなもんかなと思う。けれども、大切な人をがんに奪われた人々は、なんと思われるでしょう?「できるだけの治療」を望まれたのでしょう。それは否定できないと思う。
 だから、私は、読みながら「あはは、そうやなぁ〜」と同時に「そんでもなぁ〜」と突っ込んで楽しみました。賛成できないところがあっても当然です。そういう「したたかな」読み方ができると思います。お疲れ様でした。