縮こまって

 今、朝日新聞夕刊に「認知症の私」が連載されている。
「ご近所の力」というのがあった。認知症になっても、ご近所のネットワークのような支えがあれば、自宅で生きていける。
 幸運な例だ。
 「紫陽花の会」は「介護を語る」とうたっている。「紫陽花の会」のような緩やかなつながりが必要になるのはこれからだ。なのにうまくいかない。
 「猫の手」だった人8「猫の手、貸して」と言えば、飛んできて、お手伝いをしてくれた人)は私と一緒に年とって、今から自身に「猫の手」が必要になる。
 若い人は忙しい。
 団塊世代が退職した。夫妻二人の暮らしになる。二人で散歩している。話さず、前後して歩いている。毎日同じ道を・・・?刺激はあるの?
 「断舎利」を言う人がいて、「ケチケチ生活」を言う人がいて、それでみんなが、縮こまっていく気がいる。
 こんなので、ご近所の底力が出せるのかな?
 道を探している私たち・・・。