「体験」

 週刊誌に「時代劇撮影体験」というのがあり「あ、これか?」と思った。
 
 うちの「畑の学校」に来て「貴重な体験をさせてもらいました」と言われると違和感がある。
「体験じゃない。勉強だ」とずっと思っていた。
「勉強なら食べ物を作ることを学ぶ」
「体験」は「そば打ち体験」のように、最終段階に聞こえる。
 1回きりの感じもする。
 お膳立てしてもらってする、という感じもする。
 「勉強」と「学習」は自分がするもの、繰り返すことで身につくもの。
 
 山椒の実を摘んで「貴重な体験」なら「楽しかった!」で終わり。
「こんなふうに実がついて、こんなにして摘み取るのか。1年に一回。
 とってもとっても目方が増えない。煮たらぺしゃんこ。わりにあわないなあ」と思えば勉強。
 きゅうりなら、「こんなに背が高い!おしりにきゅうりがついているのが雌花、ついてないのは雄花。」と勉強。
「人参の葉はギザギザ」と勉強している横で「自分でとったから食べなさいよ」とお母さんは言わないで欲しいんだよな。「青虫がさわれたらおもちゃ買ってあげる」なんて、おばあちゃんは言わないで欲しいんだよな。