「認知」

手紙が来た。
「講演会の小山さんの話はよくわかりました。
すももさんの話が聞けなくて残念です。
私の義父もさいごは認知が進み…」

あー、これや!
やっぱり、私でないと伝えられない部分がある。
一つは本人がなくなってから言ってもしかたがない。生きておられる時に、悩んだら吐き出し、困ったら助けを求めるために、私たちは「介護を語る紫陽花の会」をしてきた。
もう一つは「認知」と言ってはいけない。病名は「認知症」だ。
「つどい場さくらちゃん講演会」で安永道生さんが講師の時に「認知とは何か?」と受講者に質問された。私の顔を見て「すもも!」と指名され「ここにAという物があり、それをAであると知ること」と答えると、「正解!」とも言わず、横を向いてしまった!中学生に説明してわかるように言わねば、ね。
婚外子を「認知する」というふうに使うでしょう?
だから正しい病名は「認知障害」なのに、わけのわからん病名をつけた「お国」が悪い。
日本語で障害を表す言葉は、差別されるように響く。幼い頃から、阪神福祉センターのご近所として育ち、障害のあるきょうだいのいる友達がいて、特別支援教育に携わってきた私だから、伝えられることがある。
障害を表す言葉に差別の響きが聞こえるのは、差別されてきた歴史があるからだろう。
今年は「障害者差別解消法」が施行された年だ。
ところが、相模原事件が起こった。
すぐに「手をつなぐ育成会」は、「障害を持つ皆さんへ、私たちは全力であなたがたを守る」という声明を出した。
その後、障害を持つ皆さん本人が、「自分の生きる気持ち」を発表し始めた。
そういう年だった。
これは「認知症の人と家族の会」と同じだ。
初めは「家族の会」であったものが、認知症の人本人の発言と行動により、「認知症の人と家族の会」になったのだ。
そういう壮大な話をする予定だったのだ!
かなり悔しい!