烈火のごとく

 ばあちゃんがデイサービスから帰ってから、私は畑へ行った。竹薮を掃除して竹を燃やすのだ。枯れた竹も倒れた竹も多いので、切って運び出し、燃やした。本当は消防署へ「焚き火」の連絡をしないといけない?と思いながらも、どんどん燃やした。
 ばあちゃんが来た。「こんなとこで燃やしたら、あかん。危ない」といちおう、もっともな言い分だ。ばあちゃんこそ昔は、ばんばん燃やしていた。そのくせ「危ない」って? 「危ないから見張っていて」と言うと「危ない、危ない」しか、頭を巡らないらしい。「お父ちゃんに言うてくる」と行ってしまった。しばらくして、上の畑から竹薮の横を通り、診療所の所長さんが下りて来られた。「ばあちゃんが『危ないから消して』と言って来られました」とおっしゃる。「えーっ、診療所へ行きましたか?」と言うと、ばあちゃんがおりてきた。「消してんか!」と怒る。「大丈夫やで」と言うと、余計に怒って「あんたが消しなはれ!」と所長に向かって怒って、杖がわりの棒を振り回した。自分が「烈火」になって怒っている。こうなると、相手が娘やらお父ちゃん(娘むこ)やら、診療所の先生やら、もう、何がなんだかわからない。あ〜!!としか、言いようがない。まったく、手がつけられません。
 とりあえず、所長さんにお礼を言って帰ってもらった。竹は、葉があらかた燃えて、がんがんの火になっている。もう葉が舞い散ることはない。もっとも、竹の葉は舞い上がる頃には燃えきっているので、地面に落ちたからといって、そこで新しく火がついたりはしない。そうでなければ、竹だらけのとんどなど、できはしない。残り火を抑えるために、トタンの波板を焚き火の上にかぶせた。4枚をピラミッド形にかぶせると、トンネル効果で、次に来た時までには綺麗に燃え尽きている。ところが、ばあちゃん、1枚目で「そんなもん置いたら、危ない!」と言う。紙の板に見えたのだろう。4枚置いて火が隠れると「それでええ」と言う。わかってるの?
 結局、家に帰り着いても「危ないがな。見て来い」と言っていた。怒ると、記憶力が増すのだなあ。だって、晩ご飯を食べ終わり、茶碗を片づけて、薬を飲み終わったとたん「ご飯、食べな、あかん」と言ったもの。「えっ!ご飯、食べ終わって、薬を飲んだら、食べたことは忘れたの?5秒しか、たってないよ。大丈夫、頭は忘れても、おなかは覚えているから」と言うと「そんなら、食べへんわい」と言った。焚き火はしっかり記憶したものね。