「迎えに来る!」

 昨日、私は和田さんの講演会に行った。終わると5時だった。家についたのは、6時15分だ。
 ばあちゃんは3時にデイサービスから帰り、わき目もふらずに畑に行ったそうだ。
 それからだ。放浪の旅。夫が言う。「玄関の戸をガンガンたたいて『帰ってきたで』言うんや。ななくさの人が送ってきてくれた。」
 送ってくれたのは、誰だろう?事務の人かな?ケアマネさんかな?夫が聞いた話では、まず、ばあちゃんが、診療所に来た。「今日はもう終わりです。明日、9時に迎えに行きます。家で待っていてください」と書いたメモを渡した。もらってばあちゃんは外に出た。次の建物に入った。そこでも「家に帰りなさい」と言われた。また診療所に行った。「私のかばんはどこ?持って来たはずや」そこで「かばんは家にあります」というメモを渡した。ばあちゃんは外に出たが、どうも、おかしい。畑に行かずに、まっすぐに国道へ下りる。しかたなく、うちまで送ってくださったらしい。
 ばあちゃんのメモは夫が取り上げた。ばあちゃんは自分の部屋で待っていた。すぐに晩ご飯にして、寝かせた。無事だった。
 今朝、6時半に「ななくさから、迎えに来るやろ?」と言う。「今日は来ないよ」と嘘を言って「8時まで寝なさい」と部屋に戻した。昨日の今日だから、「ななくさ行き」を覚えていた。ご飯がすんで、メモを見せて、着替えもすませた。玄関に来て、自分でくつと杖を出してから「財布を持って行かな、あかん」と言う。「お金は、何にいるの?」と訊くと「積み立てしてる」と言う。何でも思いつくなぁ。昼ご飯のお金、と思いつかないのはなぜ?外食の習慣がなかったから?家に帰っても「ここで、ご飯、よんでくれての?」なんて言うのは「およばれ」無料ご招待と思っているのかな?
 迎えに来られた時は「もう来てくれてや、思ぅてました」とおせじを言う。これだけはまだ言える。
 午後、ばあちゃんは3時に帰り、私が畑にいると、やって来た。「どこにおったら、よろしぃのん?」と言う。この言い方は、ばあちゃんが畑に来たのは、草を引くためではない。まだ、デイの延長だ。私のことも認識できていない。だから、昨日は私が畑にいないので、まっすぐ診療所に行って「私は、何をしたら、よろしいのん?」と尋ねたのだろう。「呼ばれたから来た」という意味だ。やっとわかった。
 私がネギのトンネルをはずして、「ここの草を引いて」と言うと、半分理解したらしく、身体を半分に折り曲げて、草を引く。ずいぶん乱暴で、土がたくさんついたままだ。「土を落として」と言うと、わからないらしい。「すわって、ゆっくり引いてよ」と言うと、しゃがんだ。草の引き方なんか、忘れてしまった。
 私は、ばあちゃんが来る前から、ネギの続きに赤じゃがいもを植えていた。じゃがいもを配り、植えて、穴をふさぎ、その上に籾殻をかぶせる。籾殻が足りないので、取りに行って戻り、続きを植える。途中から、配ったはずのじゃがいもが無い。ばあちゃんがちゃんと、じゃがいもの箱に戻してしまっている。あ〜あ。いもを植えている、というのも、わからないのか。箱にいもがあるので、入れたんだな。「こんなところに置いて!あかんやんか」と思ったか?思わずとも、手が勝手に入れたかもね?入れた瞬間、忘れるもんね。ここまで、くると笑うしかない!「まめに、悪いことだけはするんだから」と思うが、高口式「価値観が違う。言葉が違う」しゃあないなぁ。
 ばあちゃんは、ネギの畝を引き終わり、次々に移動して行く。だって、毎日引いたら、草なんて無いんだもの。毎日、こうしてあっちからこっちへと、移動していたら、かなりの距離を歩く。
 和田行男さんが言う。「こもれびのばあさんたちは強い。風邪をひくが、熱は出さない」家事が運動になり、鍛えられているからね。「くたばらない」あはは。
 ばあちゃんもじっと座って草を引くわけではない。これだけ移動して運動すれば、ますます鍛えられる。これはしまった。私、講演のあとの質問のときに「ばあちゃんは元気で草を引いて、ある朝、見に行くと大往生してた、というのが理想です」と言って、笑ってもらったが、これでは、草引きでエネルギーを使って早死に、ではなく、「鍛えられてくたばらない」になってしまう。あ〜、うまくいかない。