和田行男さんの講演会

 和田行男さんは、国鉄に入社して、電車の修理をしていた。それが、1987年に介護職になり、「えっ?なんで?」と言われたそうだ。第一印象は、精悍なお兄さんだ。3月なのに、半袖Tシャツだ。
 まず、ビデオを見せてもらった。東京にあるグループホーム「こもれび」だ。あとで聞くと、「ばあさんばかり8人」だそうだ。スタッフは、男性2人と女性6人。ずいぶん手厚い。公休の人や、夜勤明けの人がいたりするだろう。全員が一度に勤務する事はないだろうから、そこを差し引くのかな?
 「こもれび」は先週見学した「さわやか」とは違って、普通の家のような造りだ。2階建てだ。
 まず、和田さんが入居者を起こしに行く。「もう朝ですよ。起きませんか?」と言うと、ばあちゃんは「もっと寝せてください」と言う。「どうされたんですか?」と訊くと「おなかが痛いんです」と言う。仮病じゃないの?聞いていると漫才みたいだ。あきらめて、時間をおいて、再度起こしに行く。「お客さんが来ましたよ」と友達の名前を言ってみる。ばあちゃんは「それは大変」と言って、起き上がり、ふとんをたたむではないか。大成功だ。
 場面がかわり、あるばあちゃんがトイレに入る。スタッフはすぐに「故障中。2階のトイレを使ってください」と貼り紙をする。このばあちゃんが、トイレが長いから邪魔されたくないという理由の他に、他のばあちゃんたちは、2階まで上がることで運動になる。わざわざ「歩行訓練」や「筋トレ」だと言わず、日常の生活をちょっと不便にすることで、運動量を増やすのだ。こういうのが、小さな施設というか、共同生活の良いところだ。家で、一人でいたり、家族と暮らしていると、できないことだ。わがままが出るし、家族は甘やかすし、ばあちゃんは言うこときかないし、したいことだけするようになる。
 次は食事の相談だ。女性スタッフが「今日は何を食べますか?」と訊く。待っていても食事は出てこない。自分たちで決めて、買物に行って、作らないと、食べられないのだ。これはいい。あるばあちゃんが「あんパン」と言う。スタッフが「あんパンですか。いくつ、食べますか?」と訊くと「10個」と言う。笑ってしまう。ほんとに10個食べるだろうか?うちのばあちゃんなら、小さな饅頭が10個入った箱を持たせれば、全部食べてしまうだろうなぁ。あんパンは見た目が大きいので「もったいない」とか「全部食べたら、怒られる」という気持ちが先にたち、ちびちび食べるだろうな。
 とにかく、ご飯とおかずには魚に決まり、買物に行く。何人かが歩いて行く。なんと、雨の日も風が吹く日も行く。80歳をとっくに過ぎたばあちゃんだぜ。うちなら「雨降っとる。畑、行かれへん」と嬉しそうに家にひっこむで。「買物に行かねば、食べられない」なんて状況じゃないものな。60歳ぐらいから炊事・洗濯・掃除はやめてるものな。生活力はないよ。
 その点「こもれび」のばあちゃんたちはたくましい。スーパーで野菜を選んでいる。あとで和田さんの話を聞くと「そのうち、要領よくなって、メモを店員に見せて持ってきてもらうようになった」あはは。すごい。さすが、むだに80年を生きてないさ。「こもれび」に帰ると魚をさばく手つきも鮮やかだ。だって長年、料理をやってきたのだもの。認知症を知らない人は「危ないじゃない」と言うだろうが...町を歩いていると、出会う人が「えっ?痴呆症なの?」と訊いたそうだ。見ただけではわからない。歩いたり、話を合わせたり、できるものね。お金を払うのには、もたつくそうだが、回を重ねると、周りの人が理解して待ってくれるようになったのだそうだ。
 家族ではできない。ばあちゃんにつきっきりになる。そんなことをしていると、自分の生活がなりたたない。
 また、ばあちゃんがステイに行くような、認知症の人だけで50人もいるような大きな施設では、ばあちゃんたちが「自分のために働く。生きていくために働く」というようなことはないだろう。ばあちゃんが「何、しますのん?」と訊くと「じゃあ、洗濯物をたたんで」と言って、洗濯場で持ち主のわからないほどの量の服をたたむか、「はんこを押して」と言って、事務所で施設の封筒に住所の印を押すか、ぐらいしか仕事は無いらしい。好きな草むしりでもさせるか、というと、庭はなさそうだし、何故か、記憶して帰り「行っても遊んでへんで。仕事してるで。草引いたり」と、被害者意識になっている。「この仕事をして、皆の役にたっている」なんて、ばあちゃんには無理だ。
 講演については、また書く。
 認知症という呼び名についての和田さんの説明。「痴呆」とは「痴」は「しれもの」、「呆」は「ほうける」、どちらも「ばかなことを言ったり、すること」であり、病気の名前としてはふさわしくない。お年よりは、高齢のために、記憶力や物を認識する力が衰えて、困った行動をとるのだから、「認知」に問題があるということだ。
 でも、「認知症」って、やはり、中途半端な言葉だと私は思う。