暑さ寒さも彼岸まで

 昨日、福岡で地震があった。大変だ。
 今日は暖かだった。ばあちゃんが畑に来たので、じゃがいもの畝に呼んで「ここ見て。雨のあとで、土が柔らかいときに、ばあちゃんがこの谷を歩いたやろ。谷がグチャグチャや」と言うと「知りません」と言う。グチャグチャになっているのはわかるらしい。「ここをふんだら、あかんで。今日はこっちの草を引き」と言って連れて行った。
 そこは、ばあちゃんもお世話になっている福祉センターのうち、障がいのある人たちの施設に貸している畝だ。農耕班が使っていて、玉葱とえんどうを植えている。作業に来ないので、草がはびこっている。最初の日、ばあちゃんに「ここを引き」と言うと「ここはうちと違う」と言った。「うちの畑やで」と私が言うと「貸してるんや」と言う。よく覚えている。「でも、ばあちゃんが引くと皆が助かる」と言うと、引き始めた。ばあちゃんが毎日引いている、長さ1cmの草とは違って、10cmを越えた草は株も大きく、根もしっかり張っている。「手では引けんわ」と言うので「道具を取ってきて」と言うと、入れ物とちびた鎌を握ってきたが、今していた作業場は忘れて、向こうの方へ行ってしまったので、連れ戻してきた。1日頑張ったら、どんどん引けた。
 次の日も「ここ、引いて」と言うと「よその人のとこや」と言う。「ばあちゃん、昨日、ばあちゃんがこんなに引いたよ」と言って、前日に引いた草の山を見せた。「わしが引いたか?」と訊くが「そうやで、ばあちゃんが引いたよ」と言うと、続きをやってくれた。
 今日はもう「ここ、引いて」と言うと、何も言わずにやり始めた。既成事実になったらしい。3日もやると、ずいぶん綺麗になった。
 それにしても、こんなに伸びた草を引いてしまうと、畝が裸だ。土がゆるんでいる。雨が降ると、表面の土は流れてしまうだろう。だから、草を引いたあとは、鍬で土を畝の上まであげておくのだ。
 土手焼きの時代ではない。昔は春になると、子どもも連れて田の畦を焼きに行った。虫が死ぬとか、新しい草が生えるとか、言っていた。今は焼いていると、消防署に「火事だ」と通報される。また、焼いたあとを見ると、土がぼろぼろになっている。「名も知れぬ草の根が、土手を守っていたのだ。世の中に要らない物は無い。」ばあちゃんのように「草を引かんと、草が絶えへん」と言って、どこもかも引いてはいけない。