あてがう

 ばあちゃんが来た。6時40分だ。これだけ時間稼ぎができたから、もう起こしてもいいだろう。台所に連れて来て「昨日の雨で畑には行かれません」メモを見せる。ずいぶんおとなしい。何もしゃべらないので、この均衡を破る手はない、とばかり、ほっといて洗濯物を干しに出た。3日分だ。干しながら、家の中の様子をうかがうが、冷蔵庫を開けているらしい音がする。以前のばあちゃんなら、一人でおかずパックを出してご飯もよそって食べていた。
 干し終わって台所に帰ると、もう7時半だった。ばあちゃんは座っている。こうして一人でじっと座っているのは、ステイでばあちゃんが怒って騒いだときに、職員室に連れて行き、おやつを食べさせるという対処をしているからだろう。
 メモ作戦。「朝ごはんは食べたか」ばあちゃん「はい」私「ここに来て見て。ばあちゃんのお茶碗、洗い桶につけてないよ。食べてないんと違う?」ばあちゃん「食べてないんでしょ」私「食べたか、食べてへんか、わからんの?」ばあちゃん「知りまへん」メモ「朝ごはんを食べたかどうか、覚えてないなら、一人でくらしていたら、食べんと死ぬしかない」ばあちゃん「みなが食べたんなら、食べたんでしょ」すごい理屈。自分も食べたと言う。私「皆と一緒に食べません。ばあちゃんは一人で食べます」私、ばあちゃんと食べると、ストレスで胃が痛くなる。ばあちゃん一人でお食べ、と思ったら、心が軽くなり、以後はずっと一人で食べるばあちゃんを見守っている。
 ばあちゃんが言う。「ここにおったら、あてごうてくれてです。みんな、ごたがい、そうやってくらすのです」え?それ、何?ここにおったら、って、ステイかい?ここが自宅って、認識してない?いわゆる『認知障害症』 ばあちゃん「ここにおったら、一緒に食べてます。三度三度あてがうのです」 それはとても『受身』な暮らしだなぁ。ステイは受身なのだなぁ。自分で『やりたい!』と思う事は? 
 メモを続ける。「おなかがすいたか、どうか、わかるんか?」ばあちゃん「朝ごはん、昼ごはん、ちゃんと覚えてくれてのが、親の役目です」 えっ?私が『親』?ばあちゃんが『子』になるわけ?逆転してる。私「私が親?あんたが子?」ばあちゃん「一緒にくらしたら、子です。親やったら、子の始末してくれるのが役目です。一緒にくらしたら、指図してくれるのがあたりまえです」わかったような、わからんような、りっぱな理屈。結構なお言葉。
 私「ばあちゃん、お名前は?」ばあちゃん「いとえ」それはばあちゃんの母親の名前だ。私「ばあちゃんのお母さんの名前は?」ばあちゃん「知りません」私は「これは誰?」と自分を指してみる。「この家の主人の奥さんでしょ」?まぁ、確かにそうだけれど...私とばあちゃんの親子関係は清算してしまったわけ? 私「その主人の名前は?」ばあちゃん「知りません」
 しきりなおす。私「ばあちゃん、お名前は?」ばあちゃん「ゆきえ」言えた!私「ばあちゃんのお母さんは?」ばあちゃん「いとえ」言えた!私「ゆきえさんは87歳やで」ばあちゃん「そんな、年、いっとるか?」私「お母さんはずっと前に、84歳で死んだよ。これは娘。ばあちゃんの娘。娘の名前は?」ばあちゃん「知りません。一緒にくらしてるから、はっきりわかりません。自分の名前、覚えなさい。人に言うたかて『違う』言うてです」つまり、ばあちゃんが適当に返事をすると、私が「違う」と言うという意味。無茶苦茶な会話で、笑える〜!!
 あれよ、あれよ。今、ここにばあちゃんの発言メモがある。でも『再現ビデオ』は作れない。メモの順序が逆だったり、書く暇がなかったり...