なじみの顔があれば

 今日は湯浅ちゃんが遊びに来た。風に乗って! 着いたのは、朝6時半。畑に行き、野菜をとって、しゃべって帰って行った。ふうっー!
 湯浅ちゃんが言う。
 「なじみの顔があれば、環境をかえても生きていける。老人力。おそるべき大正生まれ。倒れても倒れてもたちなおる。」
 じいちゃんが、ステイに行っている間に、湯浅ちゃん一家は引越しをした。今まで、「認知症の人は、新しい環境になじめないので、引越しをしてはいけない」と言われてきて「そうかな?」と思っていた。ところが、じいちゃんはもう、以前の自分の家を忘れてしまっている。ステイから帰ってきたら、新しいマンションライフ。環境になじもうと必死だ。
 また、人間関係も、今、目の前にいるのが、「息子の嫁」だということは忘れても「なんか見たことある、なじみの顔」なのだろう。安心しているようだ。
 すると、今度のマンションの床が歩きやすかったり、外に出れば便利な商店街があったりで、じいちゃんはとても元気になった。引越しは大成功だったのだそうだ。ふ〜む!

 余談だが、私は「モーツァルト」の興奮さめやらず、というより、教え子に会えたことが嬉しくて、早速「教え子通信」を作っていたら、白々と夜が明けた、という徹夜だったのだ。もっとも、晩ご飯のあとで、居眠りしてからの作業だから、まったく「一睡もせず」ではない。(もちろん、こんな日は、ばあちゃんはステイ。感謝、感謝)公演のプログラムから写真をスキャンして、「皆も行けたら行ってね」と書いて、印刷し、10数部を封筒に入れ終わった頃、メールが来た。「これから行きます」
 湯浅ちゃんは、いつも早起きだ。でも、今日は「徹夜」だったのだそうだ。その勢いで、タクシーを飛ばし、山を越えて(いや、トンネルをくぐって)やってきた。お互い、徹夜のあとの高揚した気分で、しっかりしゃべり、おいしい空気を吸い...彼女は満足してくれたかな?