「製作」で叱咤激励しないで、わかってやって

 デイサービスの連絡帳は、いつも一方通行で、私が書いた、「ばあちゃんの家での様子」は無視されて、私の「どう思いますか」の問いには答えがない。
 私が「デイでの問題行動と対処法を書いてください。家で参考にします」と書くと、主任さんの返事が返ってきた。ばあちゃんが一番の「問題児」のようで、もてあましているらしい。毎日、直接に接していて、日替わりで書き込んでくれる女性スタッフの「感じ」「意見」「対処法」は返ってこないのだ。
 「七夕の製作をしている」話がここ何日か、続いている。前は「こよりを上手にたくさん作ってくれました」とあった。今日は「紙を切ったりはいいのですが、『短冊を書きましょう』と言うと『あんた、しなさい』と言います。ばあちゃんは、『何、言うてるか、わからん』と何度も言います」と書いてある。
 わからんのよ、ほんとに。
 記憶は1秒、目は近視、耳は聞こえない。耳から入ることばの「最後の一語」しかわからない。「考える、覚える」ができないのに、頭がクリアな人たちにまじって「製作をやれ」って言われても、無理よ。
 ばあちゃんは自分をわかってもらえないから、怒る。当たり前だと思う。日本語がつうじなくなっているのだから、空気で感じてよ。
 中田光彦さんが「誰でも殴りたくなるときがある」と書いてくれていて、妙に納得して、うれしくなった私。このときばかりは、ばあちゃんに同情したわ。ばあちゃんも、けなげに頑張っているんだよ。