「ぼけと二人三脚 デイケアの人間模様」

  田部井康夫著 筒井書房 2002年
 まるちゃんに「笑える本、貸して」と言って、本棚から適当に選んで持って帰った。
 田部井さんは、1947年生まれ。
 1983年にできた通所施設「みさと保養所」が、91年に「デイセンターみさと」になった時に、代表になられた。
1.ぼけと家族のありよう
2.支えたり、支えられたり
3.いつも誰かが側にいて
  
 まだ(1)しか読んでいないのに、書いてはいけないが、この本は「笑えない!!!」全部読めたら、また書くから、途中で書くことをお許しねがいたい。
 (1)には、「みさと」に通う17人の例が書かれている。
 まず、はじめの「アルツハイマー型の竜雄さん ぼけというものの不思議さ」で、
田部井さんは「ほんとうにそうなの?」と問う。引用する。
 
 最近、新聞でぼけの早期発見・早期治療で有名な医師の記事を見た。本人原稿ではないので正確に意を体しているかどうかはさだかではないが、見過ごせない内容だった。
「痴呆は家族の病気なんだよ。親を構わず放っておいたからね」
「ひとり暮らし、会話のない夫婦はぼける」
「俳句や碁、将棋で頭を使ってる人にぼけはない」
 本当にそうなのか?
 呆け老人をかかえる家族の会に参加する介護家族は、まずこうした発言に組しないだろう。愛情濃やかにともに生活し、本人も意欲的に生きてきたにも拘わらず、なお、”ぼけ”という不幸に見舞われ、苦悩しなければならなかった体験を多くの人が共有しているからである。
「痴呆が家族の病気である」などという言葉ほど、誠実な介護家族を傷つけるものはない。

 ふ〜っ! しんどいね。これを読むと気がめいる。
 一度、金子満雄さんの「ボケからの脱出」シリーズをお読みください。金子さんは、豊富な経験から、早めに発見して、くらし方を変えることによって、認知症の進行を遅らせるヒントを与えてくださっています。とくに、60歳代で、退職してすることがなくなって、意欲をなくした人についての項目が役にたちます。
 金子さんは上に書かれた「愛情こまやかにともに生活し、本人も意欲的に生きてきた」ことを否定してはいません。
 田部井さんは「俳句や碁、将棋に励んでいてもぼけてしまうケースは決して少なくはない」と書かれていますが、当たり前です。ちょっと考えればわかることです。
 うちのばあちゃんは、金子さんの本を読むと、なるほどと、思い当たります。まず、「痴呆の原因はアルツハイマー病と脳血管性だけではなく、老化現象である」というところです。ばあちゃんは、順調に年を重ね、80歳を過ぎて、老化現象でぼけてきたと思われます。80歳を過ぎたら、ぼけても普通、ぼけなくても普通、ぼけてもいい社会を作ればいいのです。そのために「デイ」があるわけですから、田部井さんも、もうちょっと冷静になって。
 あのね、「愛情こまやかにともに生活し、本人も意欲的に生きてきて、なおかつぼけた」なら、それが正常な「老化現象だ」ということではありませんか。「ぼけという不幸に見舞われ、苦悩しなければならなかった」のは、本人の責任ではありません。受け止めてあげられないまわりの責任です!!! わっ、珍しく興奮した。
 うちのばあちゃんは、確かに「本人のくらし方の責任」と思われることがあります。
1.目と耳と歯を若いときから、大事にしてこなかった。
2.感謝と感動する心を持ってくらすということがなかった。
 (1)は情報の入る元と、脳に送るところにかかわり、頭が働かない。
 (2)は、ひととしての心の動き。私達が「それは違うよ」と注意しようものなら、何倍にもして返してきたので、ついつい面倒になって放っておいた、そこが私達家族の責任だと思う。自分で反省するとか、まわりの意見を聞く、ということがなかった。
 だから「ぼけたのは、家族の責任」と言われたら、私の場合は「そうだ」と思うし、「誠実な」介護家族なんかではないので、金子さん、ありがとう、りっぱにぼけたばあちゃんとつきあうわ、と思う。