「ぼけと二人三脚」つづき

 (1)の中の例では、いろいろな人が登場する。読んでいると「ひど〜い」と思うことが多い。これなら、うちのばあちゃんのほうが、ましや。私もまだまだ頑張れる。
「自尊心に人生を隠す平吉さん 屈折した養子の立場」を読む。
 平吉さんはデイに着くと「俺は障害者じゃねえ!手帳だってねえんだ。こんなところに来るわけねえんだ。うちに仕事だってあるんだ。けえしてもらわなくっちゃ。すぐけえしてくんない」
「仕事を手伝って」と言われると
「そうか、俺は障害者じゃねえんだ。だったら、早く仕事を出してくんない。早く終わらしてけえらなきゃ」
「その前にちょっと歌を歌って景気をつけましょうよ」には
「歌なんか歌ってたんじゃしょうがねえんだがなあ...」と言いながら歌いだす。歌い終わると「歌っつうのもいいもんだいのう」
 仕事は、ホチキスの針を並べるそうだ。
「こりゃ、細っけえけどいい仕事だのう」
 帰りがけは「ねえ、また、来てくれる?」と言われ
「ああ、また来るよ」
 また次のとき「こんなところにゃいられねえ。家に仕事だってあるんだ。留守番だってしなきゃなんねえ。こんなことしてたんじゃ家のもんに怒られっちまうぜ。どうしてこんな山奥の山小屋に連れて来たんだ!」「来たって一銭にもならねえ」
「一家のご主人様がどこで何をしてようと勝手だって威張ってりゃいいじゃないですか」とけしかけると
「そんなこと言ったら、頭からおっぺされちまう」
ふと「平吉さん、ひょっとして養子さんですか?」
「まあ、そういったようなもんだいのう」
  
 これは、笑えない。私、自分ではばあちゃんのこと書いていて「笑える〜!」と言ってもらうと、嬉しいが、似たような話を、他人というか、ぼけてる本人や家族ではなしに、介護のスタッフが書くと、なんで腹がたつのだろう?