抽象的思考は無理

 ばあちゃんが「デイで荒れる」には理由があるに違いない。
 今日の連絡帳は「音楽療法で『ふるさと』を歌いました。『ふるさとはどこですか』と尋ねると『この上です』と言われました」
 ばあちゃんの今の状態は、「自宅」と「畑」と「ステイ」とがごっちゃごちゃだ。場所的には「畑」と「ステイ」の間に「診療所」がはさまっている。だから「上に行く」とは、「畑」「診療所」「ステイ」のごちゃまぜだ。
 そんな人に「ふるさとはどこですか?」とたずねてはいけないということだ。
 「認知症の人は、現在のことは覚えないが、過去のことは鮮明に覚えている」と書いた教科書のとおりに、目の前の人は、いかないよ。
 ばあちゃんに訊いて答えられるのは、「名前は?」「ゆきえ」「お母さんの名前は?」「いとえ」だけだ。自分の姓は言える。毎日3回、自分の氏名が書かれた薬の小袋を破って薬を飲めば、覚えられるさ。母親の姓も自分の姓と同じだと思っている。父親も夫もどこかへ消えた。

 前にも「夏の歌を歌いました。『夏と言えば...』の話になりました。『泳げる人?』と訊くと『はい!』と手をあげ、手を動かして泳ぐまねをして下さいました。『船に乗って行きたいところはどこですか?』と訊くと『わかりません』でした」
 だから、抽象的思考は無理なんです、と何度も書いているではありませんか。
 目の前に実物、たとえば、すいかやトマトがあれば「すき?きらい?」と訊かれても、理解するでしょう。
 「実物が無い場合」「形が無い物、見えないもの」「頭の中で考えたり、想像したりするもの」について、質問するのはやめてください。それで、ストレスになるのです。場合によってはパニックになるかも知れません。
 興奮状態で帰って来られたら、困るんです。