「ボケと二人三脚」の著者からのお手紙

 「ボケと二人三脚デイケアの人間模様」を読んで「たたかうおばあちゃん」に書いた感想を著者に送ったら、お手紙がきた。「デイみさと」の代表の田部井康夫さんだ。ていねいな文章で、真面目な方なのだなと思う。勝手にのせさせてもらう。
「暗い、笑えない文章を書いている田部井です。
 お便りありがとうございました。ざっとですが読ませていただいて、私の書いているものは、受け取り方によっては、そうなのだろうなと、自分でも思います。
 それに比べると、赤坂さんの書いたものは、軽さと明るさがあり、私などは、うらやましいような気もします。(応募していただいた原稿は、そのトーンが少し落ちていたようで、残念でした。)
 受け取り方はさまざまで、暗い、笑えない私たちなりの対応に共感してくれる方もいるのです。 書いたり、相談にのったりする側に、いろんな受け取り方があるように、そこに表現されたものに対する受け取り方も、さまざまです。
 それは、私は、キャラの違いだと思っています。
 私も仕事として携わっている者ですが、日々、起こってくるいろいろな事態に、笑ってしまったり、困惑したりしながら、お付き合いしている、一人の人間にすぎません。
 教えたり、教えられたりということは離れて、お互いの手ごたえを大事にしながら、違う角度からの意見にも耳を傾ける余地を常に持って、少しでもよいお付き合いを続けていきたいものと念じています。
 今後とも宜しくお願い致します。」

 ありがとうございます。う〜ん、としばらく考える。
 私の文が「明るい」とか「軽い」とかいうことはない。現実は、ばあちゃんがデイに行く時間が6時間×週に2回、ショートステイが1泊2日で週に1回、月に1〜2回の長いめ、つまり4〜6泊のステイ、それ以外は家にいるわけだから、「軽く、明るく」など、していられない。時として修羅場になる。
 でも、書いていると、笑える文になってしまうのは「あ〜、しんど。でも、まぁ、いいか」という開き直りと「あんたのおばあちゃん、めっちゃ、おもろいな」「うちとおんなじや。ほっとした。肩の荷が半分、おりたわ」という読者の声に答えてしまう、サービス精神による。
 応募原稿は「トーンが落ちて」当たり前。目的が違う。「『良い天気に家におったら怒られる。畑に行って草を引く』が強迫観念になってしまっている、こういうばあちゃんは他にもいるか?それを知りたい」が目的だ。「明るく楽しく介護をする家族」なんかではないのだ。
 田部井さん、私もあなたがたの「私たちなりの対応」に共感します。「対応」には共感するし、こんなに親切に丁寧に対応してもらえるなら「デイみさと」に行かせたいと思います。
 でも、それとは別に「介護職にこんなふうに書かれると、つらい、笑えない、腹がたつ」という家族の心があるのです。そういうことです。おわかりでしょうか。
 和田行男さん、高口光子さんにはないものですから、ちょっと気になりました。家族の個人的事情につっこみすぎ?でも、それを省くと、読者に伝わりませんか?
 また、私が書いた「痴呆は家族の病気なんだよ」という持論のお医者さんに対する受け取り方、ですね。ここにも触れてほしかったと思います。先に書いたように、田部井さんが「こういうみかたには組しない」と書かれた、ここの部分で私は「暗い」と思うのですよ。
 私は「認知症の二大原因はアルツハイマー病と脳血管性」という見方よりも、「生活習慣病」とか「順調に年を重ねた結果の老化現象」が多数ふくまれているという見方に賛成です。「ボケても普通やんか」ととらえるほうが「明るい」でしょう。「ボケて何が悪い?あんじょうしてくれるのが若いもんの務めや」と開き直るばあちゃんのたくましさ、です。
 「書いた文をどう受け取るか」はキャラの違いかも知れません。が、認知症の患者さんと取り組んでいるお医者さんに対するみかた、はもう少し、つっこんでみるとおもしろいと思います。お医者さんは、私達が育てなきゃ。群馬大学医学部に、頭をつっこんでみてください、是非。