和田さんに疑問 その2「人として」の3つの条件

 これは、私が知っている青年の場合だけれど、生まれつきハンディがある。施設で暮らしている。生活は依存している。施設は社会から、隔離とまでは言わないが、遠く離れている。こんな場合は、どう考えるの?
 これに対する答えは、友達にたのんだ。引用する。
「和田さんのいう人としての3条件はそれでいいのではありませんか。
1、障がいのある人は、自分のことなのに自分でできないことが多い。
それでも、どんな小さなことであっても自分でしようとする場合があるし、
それができたときは満足します。ただ、自分でしようとするサインを見落とすことが多い。
だから、介助者が全部一方的にやってしまい、その障がいのある人を落胆させる。
ところで、そもそも、世の中に自分のことを自分で完全にできる人など一人もいません。
みんなだれかのおかげで生きているのです。
ですから、あえて表現を変えるなら、「助けてもらいながら自己実現する」の方がいいかもしれません。
2.障がいがある人は一方的に助けられているように思いがちですが、そうではない。
存在自体が周りの人に大きな影響を与えている。
ただしその人の発する信号を受信するアンテナがない人も多いのが現状ですが。
また、障がい者と健常者という分け方もおかしい。同じ人間なのに、
障がいのある人のことを理解できないとすれば、その人は真の意味で健常者と言えるでしょうか。
それこそ、人のこころが分からないという障がいのある人になりませんか。
世の中には完全な人などいないから、助け合うのです。
3.社会とつながって生きているのは当然のことです。
その社会が、施設という特殊な環境の時代が長い間続きました。
今はその反省の上に立って、地域福祉が叫ばれています。
叫んでいるのは関係者だけかもしれませんが。」
 あ〜、わかった。こうして、問題点を整理して答えてもらうと、納得できた。彼は毎月「ゆうとぴあ通信」を発行して、配ったり、郵送していて、それが今月で100号を迎えた。祝100号。毎月発行しても、8年以上かかる。今はネットでも読める。私のブログの「アンテナ」の「ようこそ」から行ってください。私の尊敬する友人です。こういう友人を持ったことをとても誇りに思います。