「静かで落ち着いた生活」

 夫に「ばあちゃんな、ケアマネちゃんが相手だと、しつこく何回も訊くねんで。なじみの顔やと、わかってるんかな」と言うと「そら、職員は『怒られへん』てわかるんやろ。おまえやったら『黙って』『うるさい!』と怒るやろ」
 あ、そうか。私は、ばあちゃんが起きてから何かをするときに「黙ってして」と言う。ずっと初めのボケかけのころも「もうその話は3回したから、終わり」と止めた。何回も堂堂巡りをしているとばあちゃんが「うつ」の壺にはまる。
 ご飯も「静かに食べて」が目的だ。デイサービスのように「おしゃべりしながら、楽しく」なんてしない。お箸をいつまでも使えるように、なるべく「綺麗に食べられるように」外で食べるときにも見苦しくないように、家でちゃんとできれば、体が覚えていてくれる思う。見かけだけでは認知症と悟られないように!...これは無理かもね...でも見栄をはっているのだ。
 家では「静かでおちついた生活」がモットー。そのためにテンションをあげない。畑に行くと、好きなように頑張ってエネルギーを使って、くたびれてもらう。
 施設の職員は「デイサービスはテンションをあげるのが仕事」と思っているかも知れない。でも、家族がそれを望んでいるかどうか、は、一度訊いてもらったら?職員は勤務時間が終わったら「さよなら」ができるでしょ。
 なんだか、昨日の「優しい若者で今日の福祉がもっている」とは違う展開になってしまった。昨日の高尚な話も表現が違えば、えらく情けない話になってしまう、ということだ。