質問

 質問の時間になった。家族の人が次々に相談事を言う。
「母は外へ出たがらないのです。それでも連れて出たほうがいいでしょうか?」小澤さんの答えは「連れて出てあげてください。この病気の怖いところは、病気が進むと、自分から何かをしようという意欲がなくなり、動かなくなることです。ですから、連れて出てあげてください。意欲をなくさないように。出かけたこと、や、一つ一つの事柄は忘れても、楽しかったという気持ちは残りますから、それが本人の財産になります」優しい先生なのだ。
「父親が夜、寝ないのです」「困りますね。睡眠導入剤は、高齢の方の場合、体内に蓄積されますから、昼になって効いてきて、眠いとか、ぼーっとしているとかで、困ることがありますよ」
「母が...」「難しいですね。偉い先生なら『こうしなさい』と言われるのでしょうが、私には言えませんね。どういう診断ですか?」「アルツハイマー病と言われました」「薬は処方されましたか?」「**という薬をもらっています」「それの良いところは...です。困るところは...です」先生はもともと精神科のお医者さんなので、答えも専門的で、縁のない私にも「良い説明だ」と思われる。それに「難しいですね...」と質問者にまず共感し、一緒に考える姿勢が素晴らしいと思える。
 私も言いたくなった。マイクの調子が悪いので、質問者は使えない。「大きな声で言えますか?」と念を押されたので「はい」と言うと、発言を許された。「講師より大きな声を出さないで」と言われたぐらいだよ、大丈夫。
「母が認知症で要介護2です。デイサービスとショートステイを利用して助かっています。私はここから1時間ぐらいのところで百姓をしています。ばあちゃんは元気で畑に行き、草を引きます。私は家族の会に入り、勉強するようになりました。そしてホームページに日記を書くようになりました。『たたかうおばあちゃん』と言います」ここで会場の客が笑ってくれた。質問者に笑ったのは初めてだ。いいぞ、その調子。「ばあちゃんは草と戦うのです。『草を引かんと草が絶えへん』と言います。私は『ばあちゃん、土手の草を引いたらあかん。土手がずれる。名も知らぬ野の草が地面を守っているのだ』と思うのですが、ばあちゃんはききません。先生の本を読んで、まり子さんがお母さんに忘れられた理由を知りました。それで『あ、ばあちゃんが私のことを忘れたのはこれだ。私ががみがみ言うから忘れたんだ、と初めて知りました。それで、新聞で先生の講演会を知り、やってきました。ありがとうございました」と言った。 
 先生は「そういうふうに私の本を利用してくださったのですか。それはよかった。ばあちゃんが土手の草を引いてもよいではありませんか。多少引いてもずれないと思いますよ。間違って、なすびを引っこぬいてもかまわないでしょう。ばあちゃんが元気でいてくれたら、いいと思いますよ」と言われ、会場の雰囲気が明るくなった。笑ってくれた人もいた。介護って、明るい場面もなくちゃ、ね。(まったく、どこへ行っても必ず、何か言うんだね、ってか?言わないと、せっかく行ったのに、もったいないではないか)
 それでも、深刻な悩みをかかえて「訊きたい」人は多かったようだ。「たたかうおばあちゃん」をあげたいと思って持って行ったが、終わってから私を探しに来る人もいなかったし、主催者も「いまひとつ...」の反応だったので、止めて持ち帰った。残念。