姪が来た

 ばあちゃんの姪は手先が器用で、冬は「遊んでる」と言いながらミシンを踏んでいる。「トイレのタオルに使って」と言って、かわいいお人形を作っている。上半身が「顔」という形で、男女のペアだ。女の子の髪は三つ編にしている。下半身が花模様のタオルだが、この材料を仕入れにわざわざ大阪の本町のセンタービルの問屋さんまで行く。私もたまに行くが、問屋街は服もタオルもパジャマも文房具も安い。楽しみでもある。従姉妹は他にも、小さな小さなぞうり、鍋敷き、お手玉、ちりめんのお人形..などレパートリーが広い。私はもっぱら、アクリル毛糸の「ばらの花たわし」か「七色たわし」だ。
 私もばあちゃんも従姉妹のことを「姉ちゃん」と呼んでいる。私が「たまには、ばあちゃんに会いに来て」と言ったら、来てくれた。ちょうど、ステイから帰ってきたところだった。スタッフに「ばあちゃんの姪です」と紹介すると「そう言えば似てますね」と言われる。従姉妹が「年をとったら、おばちゃんに似てきました」と言うので、私も「ばあちゃんが77歳のときに、姉さんに誘ってもらって沖縄に行きました。姉さんとばあちゃんと、この従姉妹とそのお姉さんと4人で並ぶと『4姉妹ですか』と言われたんですよ」と言うと、スタッフが「旅行に行ったんですか」と言う。そうね、老人くらぶとか、誘ってもらったよね。楽しい日々もあったのだ。
 さて、応接間に入り「姉ちゃんが来たよ」と言うと、ばあちゃんは「おばちゃん、せんど、見いひんな」と言う。「あんたが、おばちゃんやんか」と従姉妹が言う。まあまあ、気にしないで。「姪」という言葉を忘れたのだから、しかたがない。「姉さんの名は?」と訊くと、ばあちゃんは母親の名前を答えた。「それから?」と訊くと、去年亡くなった姉の名を言う。「私の母親は『くに』やけど、知らんか?」と従姉妹が言うと「知らんわ」...まあ、しゃあない。
 しばらく「せんど、見いひん」とか、繰り返していた。そのうち、「家におったら、怒られる」と言う。従姉妹が「あんたが、怒られるようなこと、するから、あかん」と言う。私が「説教すると、怒るで。やめとき」と言うと、従姉妹は「そうか、そうか、言うて聞いてあげたら、ええねんやろ。それでも、あんまり、言うと、こっちも腹がたってくるわ」と言う。私はあほらしくなってほっておいて、別の部屋に行き、洗濯物をたたんでいた。ばあちゃんの声が大きいのでよく聞こえる。
「どない言うて怒るか、おまえ、知らんやろ...」...忘れた...でも、聞いているだけでは「この人が認知症」とは気づかないだろう。言っていることは「いちおう、もっともらしく」繰り返してはいても「強調している」か「よほど腹にすえかねている」と聞こえてしまう。家族がしんどいのは、まさにここにある。「めったに会わない他人に対してとる態度」と「実は身の回りのことができない日常の姿」との差が大きいのだ。
 ばあちゃんはだんだんエスカレートする。声が大きくなる。早口になる。「わぉ〜、えらい、頭がつながったわ。怒らすとつながるんや。すごい元気!」と思いながら、私が聞いていると従姉妹は「あかんわ、帰るわ」と言って出てきた。