「認知症の母と暮らす」

認知症の母と暮らす
 長年農業をしてきた母が「おかしい」と気づいたのは、80歳を過ぎたころで、それは「野菜の苗を植える間隔が狭くなった」ということでした。植えても収穫しなくなり、野菜の種類に興味がなくなり、ついに草引きにのみ執念を燃やすようになりました。幸い、畑に隣接して福祉施設があり、そこの診療所を利用していたので、介護保険制度の始まりとともに「要支援」に認定してもらい、週に1回、デイサービスに行くようになりました。
 今は「要介護2」であり、月曜と火曜はデイサービス、木曜に泊まり金曜に帰る1泊2日のショートステイ、木曜から月曜までの4泊5日のショートステイを組み合わせて利用し、大変助かっています。費用はデイサービスが1回あたり1、111円、ショートステイは1泊2日で4、509円、4泊5日で12、018円です。 
 1年に1回「介護保険給付費のお知らせ」が来ます。去年の3月の例ではショートステイを11回、デイサービスを8回利用し、費用総額180、803円のうち、163、622円が保険から給付され、本人負担は17、181円でした。
また「高額介護サ−ビス費」として本人の支払いが一定額を超えた場合に「市介護保険給付係」から支給される制度があり、去年の10月は250円支給されました。
 これに対し、本人が納める介護保険料は平成17年の1年間で26、400円でした。

認知症とは何か
認知症の最新情報として以下の3点があります。
1.呼び名が「痴呆」から「認知症」に変わったことです。「痴呆」の「痴」は「しれる」「呆」は「ほうける」でいずれも「ばかげたこと」という意味ですが、それは病気の実態にそぐわない。「認知症」は「脳の病気で物を認知することに障害が出る」という意味です。
2.アルツハイマー病を患う本人が発言し始めたことです。オーストラリアのクリスティーヌさんが出版された「私は誰になっていくの?」をきっかけに、日本でも「国際アルツハイマー協会」の世界会議などで、本人が発言する状況が生まれています。
3.「認知症と診断されたあなたへ」は小澤勲さんの著書ですが、本人が読む本として初めて出版されました。

認知症は脳の病気です。
 私たちは「ぼけ」という言葉に慣れていますが「ねぼけ」「とぼけ」「大真面目のぼけ」などのように、必ずしも暗いイメージばかりとは限りません。「ぼけ」には「加齢による自然なもの忘れ」と「病気」の両方があるようです。「自然なもの忘れ」はたとえば、人との約束を忘れた場合、指摘されたら思い出すし、謝ります。次からはメモをとろうと思います。「病気の記憶障害」は、約束したこと自体を忘れていますし、指摘されたら「約束していない」と怒ったりします。
*病気の原因は「アルツハイマー病」と「脳血管性痴呆」というのが医学界の主流です。
*ボケは「生活習慣病だ」という金子満雄説があり「生き方のツケがボケに出る」「ボケてたまるか!」「親がボケれば子もボケる」「ボケからの脱出」(いずれも角川文庫)が出版されています。この説は主流ではない、と言われています。
この説の良い点は「80歳を過ぎれば半数がぼけるので、ぼけても困らない社会のしくみを作る」と「ぼける可能性を早期に発見できるテストがあるので、発見し、適切な指導を受ければ進行を遅らせることができる」です。
嫌われる点は「ぼけは本人の生活習慣のせいだ」「家族がほっておいたからぼけた」というふうに受け取られ、患者の家族の会とケアのプロからは「どんなに気をつけてもぼける時はぼけるから、この説は患者と家族には酷だ」と言われています。せっかくの「早期発見・早期治療」説がもったいないと思います。

認知症の症状には「中核症状」と「周辺症状」があります。     
*中核症状は誰でも現れるもので「記憶障害」「見当識障害」「判断の障害」「言葉・数の障害」があります。
*周辺症状は「幻覚」「妄想」「いらいら」「徘徊」「うつ」などで、人によるし、ない人もいます。この周辺症状が本人も周囲も困らせるのですが、適切なケアによってなおせます。
たとえば「徘徊」とは本人には行きたい場所があるらしいのです。夕方になると「家に帰る」と思い、家を出ますが、帰り道がわからなくなるのです。そのとき「まわりの人に訊く」とか「家に電話する」という解決法を思いつかないのです。あとをつけて行って「帰りましょう」と言うと帰れますが、家を出る時は思いつめていて、意外と速く歩くので見失い、思わぬほど遠くへ行ってしまったりします。 
また「被害妄想」とは財布をなおした場所を忘れ「盗られた」と言ったりします。「盗った相手」が身近でいつも世話になる人であることが多く、悲劇になります。 
*中核症状に対する対処の例をあげます。うちの母は朝起きて一人で服が着られません。今、脱いだパジャマがどれかを忘れて、また着ようとします。今日が暑いか寒いかわからないので、気温に応じた服が選べません。着る順番がわかりません。つまり一つ一つの動作もしにくいが、先を見通し命令を出すべき「オーケストラの指揮者」が壊れた状態が「認知症」なのです。対処としては私が「指揮者になってあげればいい」のです。順番に渡せば着られます。

認知症に対する誤解があります。
 「何でも忘れるから幸せな人生だ」と思われることです。「記憶」は壊れても「感情」は残っています。本人には「自分が壊れていく」という不安な気持ちがあるのです。「叱られた内容」が理解できなくても「叱られた記憶」は残ります。「喜び」を与えても忘れるからしかたがないか?否です。「快」の気持ちが残り笑みが残ります。どんどん与えてあげてください。

介護する人は孤独になってはいけません。
 私は「西宮市認知症介護者の会」に入っています。例会で情報交換をし、悩みを語り合い、講演や見学や、たまには「お楽しみ会」にも参加します。ブログ「たたかうおばあちゃん」も書いています。http://d.hatena.ne.jp/sumomo8491/

介護する家族ではない人は、介護している人を支えてあげてください。
 愚痴を聞いてあげるだけでよいのです。たまには「買い物に行くけど、ついでに何か、買って来てあげようか?」と訊いてあげてください。お願いします。